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自慢にはならないが市議会議場の記者席の端に私の指定席のような場所がある。旧田無市の市役所が建設された、最初の市議会の時からのものだから二十数年になる。短足の体型なので椅子は他よりも一段低く設定されている。そのためかほかの人はあまり座らない。もっとも記者席で傍聴している新聞記者はほとんどいないし自然とひとりで傍聴している形となる。二十数年前、その本会義場で暴れていた議員も殆どが引退しているし鬼籍に入った方も多くなった▼地方議会のことなどはほとんど知識はなく、地方自治特有の発言や言い回しに戸惑うことばかりで、議会とはなんとも難しいところという印象であった。難解であれば、それを理解しようとするのは人間のさがで、そこから逃げるのも癪にさわるというわけで、ほとんど開議中はへばりついていた。また、かねてから知遇を得ている議員もいて、その手前、退散は敗北であり、自分の職業の否定につながるものであったから必死な面もあった。わからないから議場内を闊歩し、地方自治体がもつ独特の用語を使って論陣を張る議員たちは、ある意味で尊敬の対象でもあった▼尊敬の念をもてば、そこには何か貴重なものを得て、自分の糧にしようとするものだ。自分では登り切れないような山があるとその山を征服しようとする意欲が湧くように、尊敬する議員からどんよくにその思想や人格を吸収し、相手がミイラのように養分がなくなるまで付き合ったり応援したりする。それによって自らも向上させることができる。人間社会に厳然と存在する征服の原理だ。むかしの武将が自ら尊敬し頭領とあがめ身をささげていた大将をのちに立ち向かい討ち死にさせるなどはこのたぐいである。尊敬し征服しその全てをわが物にする。政治の世界にはよくあることだ▼傍聴席とはあくまで議場の隅において議事の進行を見守ることであるから、おっとり刀で議場に降りていくことはない。記者席ではなるべき私情もはさまず冷静にことの成り行きを確かめ記事にするだけだが、ときにはヤジの一つ、二つを投げつけたいときもある。二十数年、議員の入れ替わりを見て、幼稚さや新鮮さを見たり、真摯な市政に大きな期待を抱いたりもしたが、いまはあまり感動を受けなくなってしまった。注目をひく、びっくりするような提案や動議の発動がなくなったし、いたずらに傍聴年数が多くなって心が動かされなくなってしまったのであろう。感動が枯渇してしまったのか。いささか淋しい心境である▼政治が停滞してしまったのも一因であろう。旧田無市時代、市長と議員が原稿なしで丁々発止と議論をたたかわしたのは刺激的だったし、その分政治も動いたようだった。駅の再開発事業など、その議論の中で発展していった。いまはどうか、首長の間延びした答弁と原稿の棒読みなど、どこかイライラムードの議場である。議会運営のうえで議事を引き延ばしたり、休憩に陥れたりと、技巧に走るのが、いかにも政治の力量と思っている節もあっていただけない。打てば響く議場の再現を目指す意味で来年2月の市長選に大いに期待したい。
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