太平洋戦争が激しくなった頃、五つ上の兄も戦争に志願して野良仕事の手が一つ無くなった。十二歳ぐらいだった少年の私は学校の2時間目に早退して田んぼの耕耘に駆り出された。相棒は家族と一緒に母屋で飼われていた雄の牛。かつを節のような大きな角を持っていたが、働くことには至って従順であった▼学生服から股引きの農作業衣にはきかえると牛の鼻具に二本の荒縄を通して田んぼまで誘導していく。いかに家畜といえ牛の前を歩くことだけは禁じられていて、牛の直後から二本の荒縄で操作して農耕用の鍬が置かれている田んぼまで歩いていく。いつか牛のほうも自分が働く田んぼを覚えるらしく独りでに畦道を通っていく。農耕用の鍬を牛に引っ張らせて、昨年に穫り入れした稲の株をひっくり返して耕していくのである。労働とはいっても、牛を誘導し鍬の方向を変えるだけの仕事であるが、鍬を持ち上げたり、鍬を操作したりとそれなりの重労働ではあった。昼ととも帰り、牛に刻んだ藁と米糖と干し草を混ぜたエサを与え、水もたっぷりと飲ませて昼休みをとり午後の2時頃から再び農作業に入る▼これらのほかに、田の草取り(除草)稲刈り、脱穀と労働のつらきはつづくのだが、あの牛との協働はいまでもときどき思い出す。夕暮れととも帰厩し、家の前を流れる小川で牛の躯を洗い流し、それから藁と糖と干し草を掻きまぜ塩や味噌汁の残りを入れたかいばおけを牛に与えて一日の労働が終る。牛も疲れるのだろう。家の連中が寝るころになると寝藁のうえに腹這いになり眼をつむり咀しゃく反芻をくり返している。牛の働き口はこの農耕の時ぐらいで、秋の穫り入れが済んだころには馬喰があらわれて何処へともなく連れ去って、また新しい子牛を置いていくのであった。そこから生まれるわずかな口銭が臨時収入となるらしく、子ども心にも意を強くしたものである。いまから思えば連れ去られた時点で牛の運命も決っていたわけで喜ばしいことではなく悲しい出来ごとの一つであったのだ。今ごろ心に痛味をともないながら牛の表情が浮んでくる▼近所にいた獰猛な犬に追いかけまわされ逃げまどっていた雑種犬のアカ、茶色味がかった赤色だったから簡単に名づけられたアカ。ヘラリアで入院中、飼主の足音にむっくり起きて、そのまま昇天していった貰い犬のゴロー。あの犬たちは今どうしているのかな、死亡して火葬されたのだからそこは無の世界しかなく限りない眠りに就いているとは理解するが、物言わぬ動物たちであっただけに不憫であり気にかかる▼父も母も、兄弟5人のうち3番目と4番目は他界した。それぞれの死を認めたうえで可能な限りの弔いをやった。また、その生き方、人生を見極めているから素直に合掌もできる。弟たちはいささか早死にではあったが、それなりの人生の軌跡を描いて寿命を遂げたと思っている▼物も言わず、別れのあいさつも言えず、時の流れのままに生かされて、自分の意に背むいて何処かに連れていかれたかも知れない家畜のことなどを思うと不憫でならない。時が流れているからだろう。稲株に鍬を入れてる牛と子と駄向一つ。


共同企画 後藤喜好


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