かつて大までは望まなくとも文豪たらんと夢にみて文章を書いていた友人知人が古希を迎えて、この頃さかんに物を書き詩をつづり、出版することに精をを出しときどき自費の本を小包で贈ってきたりする。賞賛の言葉をつらねた返礼の一つも出そうと思うのだが、どこかおぞましくもあり避けたい心境で、そのまま放置しておいたりとなる。印刷物の送りつけは一方的ではあるが、まだ、お読みいただければ幸甚ですというような謙虚な伝達方法で、身のほどをわきまえたものと受け取れる。これに反して、わざわざ電話をかけてきて直接本を手渡したいから夕方に近くで会いたいと強力な申し出は有難迷惑もはなはだしい。どこかの小料理屋に案内させられ、自慢ばなしを聞かされ、あげくの果ては勘定持ちをさせられ「君も遅くはない出版したまえ」など能書きを言われた分には救いようがない。店の女将に同意を求めるごとくに鼻をうごめかされたらこっちの気持は滅入るばかりとなる。結婚して子供が生れ、子育てと住まいづくりに壮年期の30年間を奪われ、ふと気がついたら、初心の歌心はどっかに忘れ、頭に浮ぶ文字のかずかずもすぐには書くことができずに辞書に手が伸びる現実に苛まれているとき、古い友情の押しつけは迷惑以外のなにものでもない。墓場に間もなく入る年齢になって詠嘆調あふれる嫌味な文章を書いてなにを誇示しようとするのか。自分の人生哲学や感性を表現して、読む人に認めてもらいたい。あわよくば褒そやしてもらえればありがたいというようなみえみえの魂胆が見えかくれして不純なものが先に立つ。行間から老醜が臭ってくるのである。▼同じ志をもって同人雑誌を出し、無い金を工面して号数を重ねていたあの時代の純粋さはどこへ行ってしまったのか、自分も年老いてだいぶ偏屈になったものであると思いつつも年老いた文学青年にどうしても辟易してしまうのだ。それに引き換え、若い頃文学的な素養などさっぱりないと思われていた男が、長年の勤めを終えてやっと一息、つれづれなままに書いた思い出の記などと銘記して送ってきたりすると、「おや」と新鮮なおどろきを覚え感動したりする。これが意外と読み応えがあるのだ。文章がすなおでけれんみがなく正直な分だけ引きずり込むものがある。その人間の長くも重い人生が描き出されているからだ。旧文学青年が持つ独得な美辞麗句がないからである。▼詩人をめざした仲間が季刊で同人誌を発行しその都度送ってくれる。それぞれ詩人の団体に所属しているからもう詩人なのであろうが、その詩がどうも抹香臭くなりつつある。編集後記をみるとその季の内にだれかが亡くなっていたりして「身罷る」の文字が入っている。永遠に詩心を失いたくなくて日夜詩づくりに精神をけずっているのであろうが、あまりに切羽のつまった表現に出あうと息苦しくさえなる。人生を詩人の心で読むからそうなるのであろう。ひと仕事終えて余裕の人生をユーモアともって生き、ひとひねりの諧ぎやくを川柳に折り込むような市井の人ほど美しく尊い人生を過ごしているように思えてならないこの頃である。


共同企画 後藤喜好