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この道はいつかきた道、という歌があるが人の世の生きる道にいつかきた道はない。毎日々々が全く新しい道であって、昨日きた道と同じ道であっても昨日と同じ道であるはずがない。昨日よりは草花の伸び方も違っているし、石や土の色も違うし、まずもって時間が違っている。人間のもつ心臓の鼓動も昨日よりは24時間多く動いていて、肉体も精神も昨日よりは成長し、あるいは老化している。たえず未知の世界へ一歩ずつ道を歩いているのは確実だ。昨日の思考でもって今日を考察することは困難であり、未来を推測することも本来は不可能であろう。推測することは勝手ではあるが、その通りに道は拓けるというものはない。先に述べたように時間的にまた肉体的に昨日とは異なるからである。▼それほどに未来というものは不明であり、限りなく可能性を秘めたものであるといえる。人間たるもの自然に対しても時間に対してもつねに謙虚にして真摯であらねば失礼である。昨日の体験を以て今日をまた明日をしんしゃくしてはならない。未来はいつも変幻自在であり、融通無げであって、その人間の処し方によっては、いか様にも変化して現実となっていく。それゆえに人間は全人格を注入して、その道を進まなければならない▼ということであるが、理屈としては理解できても、そう絶えず全神経を集中していたのでは角張った裃(かもしも)を纏っているようで、生きる余裕さえなくなってしまう▼そこで生き方上手(じょうず)を考えてみると、過去にいつかきた道の記憶を辿りながらも、その道に愛情を込めて進むことである。ああ、この道はいつかきた道だ、この先は左にカーブし坂を下りていくなど、道を支配した感覚で進んでいくと思わぬスピードの出しすぎで事故を起こしたりする。その道に感謝し、周りの樹々を愛でる余裕を持てば道はおのずから快適な進むべき道となるのである。道は同じ道にあらず、道はたえず変化しつづけている▼春爛漫の4月、目に青葉の5月は自然の変化とともに道は限りなく華やかになっていく。人々の目を楽しませてくれる。桜の花は一夜にして満開となり、ほどなくしてはらはらと散り、道は花びらのじゅうたんとなる。桜はやがて葉桜となって青葉は陽に輝いて人の心をうるおしてくれる。この季節ほど道が生き生きするときはない。周りの自然によって道は生き、道があるから周りの自然も光り輝くことになる。周りとともに道は生き、たえず進化することになる。そこを歩むひとも、きのうより一歩進んだ心を持って歩かなければならない▼道を仕事に置き換えても同じことがいえよう。毎日同じ仕事をやっているようでも、毎日どこか違っている。仕事も日進月歩し人の心も日進月歩する。技術もそれとともに進む。世の中も、社会も政治も文化も進んでいく。それゆえに人はとどまってはいられないということになる。いつとまるかも知れない命を持ち、いつ停止するかわからない時間を感じながら、昨日から未来につづく道を一生懸命に歩いていかねばならない人生がある。人の歩く道は、人のふみ行うべき徳の道にも通じ、どこまでも正しく歩いていかなければならない。
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