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年を取ってもなかなか第一線から引退しない経営者(ロータリアン)にある人がその事由を尋ねたところ「会社の不正を糺すため」との答えが返ってきてびっくりしたという。そのびっくりにも人それぞれの受け取り方があろう。先ず早く引退してくれないかと思っている者には、恰好いいことを言って地位に恋恋としようとしていると心良く思わないだろう。しかし、日頃のその人の徳に触れて感化を受けている者はなるほどと一応は納得する。いっぽう同年輩ぐらいでロータリークラブの仲間であったりすると、日頃、その人が事業を通して社会に奉仕している姿勢から推理して、奉仕活動から一歩進んで社会の悪を糾弾し正しい道を追求しようとしているとおおいに理解を深めることだろう▼社会の悪とは何んであるかを問えば、それは世の中の不条理のことである。人間のまともな感性から見て許せない事柄、ちょっとおかしいと思えるもの、常識からはずれたもの、それらは大体において社会の不条理というものだ。それらを正しいものに直していく。企業経営者ならば事業を通してそれを社会に問い、健全化のために奉仕していく。所属する団体などを通して社会に貢献する。社会の利益と安全のために活動する。それらの理念から、その老経営者の言葉を理解するなら立派な経営哲学として重く響いてくる▼人は年を取るごとに枯れてくる。人間は思春期を迎えるころからどろどろの欲望の塊となる。とくに性の欲望はあらゆる欲望の根元を占める強欲である。物欲も名誉欲も元をただせばこの性の呪縛にとらわれている。年を取りある年齢を越えると肉体的にもその欲望は消滅して身心とも清流のように透明になってくる。神が人間に授けた自然の摂理である。精神的な構造もそれに従って透明となり明鏡止水の如くになってくる。純粋な子供たちを見れば可愛いと思い、花を見れば美しいと思うようになる。すなおな心境になっているのだ。その反面、悪ガキの不快ないたずら、あるいはけばけばしい花弁の色や香りなどには純粋に反応して拒絶感をおぼえるもので、リトマス試験紙のようでもある。社会の矛盾、不正義、不条理には敏感に反応し、まさに老いの一徹と言われかねない面もある▼不正を糺すなら、会社を辞めて個人として存分に活躍すればよいと言われそうだが、個人では限界があるのはボランティア活動でも企業経営でも同じである。老人であればなお更である。ご老体が駅前で吸がら拾いの清掃をやっておればいかにも嫌味であり、社会浄化の演説でもやろうものならキ印かと胡散の目で見られるのがオチだ。それに力が弱っている。社会正義への思い入れが強ければ強いほど肉体的な非力を痛感する。それ故に自分がこれまで営んできた事業や活動を通して社会の不正を糺したいと思うのは、年を取った経営者の純粋な願いなのである。
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