この欄を読んでいる知人から所属するクラブで講演してくれないかと打診され飛び上がらんばかりに驚いた。まさに馬がびっくりして両前足を上げたような恰好だ。もちろん丁重にお断りした。まず以って書くとしゃべるとは大違いであって、脳の働きはそう大差はないにしても言葉となって出たものは簡単に訂正できるものではない。「あッ失礼しました」と軌道修正しても言葉となったものはそのまま聴く人に受け入れられ、不快感を与えるかあるいは軽侮の思いをいだかせるかをしてしまう。話術に長けた人なら誤った表現をすぐ戯謔化して客うけをねらう手もあろうが、しろうとにはそういううまい手を使う術もなく、自己嫌悪の深みにはまっていくのがおちである。その点、文章は書き直しがきくし、すぐ修正できるペンの修正液まである▼講演となればたとえ短時間であれ、聴く人にある種の感動とか興奮とか「ふむふむ」とうなずけるようなものを含んでいなければならない。そういう要素を含まない講演ならただ眠気を誘う無機物的なものであって時間のムダというものだ。税務署の職員が税の話をしたり、地方自治体の役職者が合併の効率化を具体的に説明したところで、聴く人にとっては直接的な利益をもたらすものでもなく、後援者が得々と説明すればするほど白らけたものになっていく。聴く人の心を動かさないものは講演ではない。感動とは講演者が聴く人よりも優れた人格をもち博識であったり、すばらしい体験があったりと少なくとも聴く人より水準が上の存在でなければ講演の様式は成り立たない。人から尊敬のまなざしを受けるような人でなければならない。自らの失敗談や貧乏談をそのみじめな自分を引きずりながら話したとて何になる。ホームレスがその生活状態を講演したとして一文の値打ちもないのと同じだ。その境遇から脱却し一段上に昇華した人生を持った人間でなければ講演者たる資格はない。よっていつの時代になっても講演の申込みは辞退せざるを得ない。目の前に聴衆となって座している方々が日頃から尊敬の対象人であるクラブでの講演などおそれ多いだけである▼と結論づけても講演とまではいかないが対話の機会は随所でおとずれる。講演のように一方的なものではないが相手を理解し相手も納得する話術・話題が要求される。あるいは講演以上にシビアな知識や人格が要求されるかもしれない。その対話に堪えられるものを備えられているか、絶えざる切磋琢磨が人間には課せられているといえよう▼物を書くにしろ、講演にしろ、また対話するにも豊かな人格と相手を感銘させる重厚さを持ち合わせていたいものである。それには努力があるのみで、幾ら馬齢を重ねても自らを磨くことは忘れてはならないと自戒をこめて思いを新たにしたい。


共同企画 後藤喜好


今月の表紙今月の特集親子で作る簡単お菓子知って得するマナー・エチケット
ひがしくるめ・こだいら むかしむかし||お店探訪・「辻メソッド」お店探訪・「ビストロ・ガメイ」