人は誰だって不快な現場からは逃げ出したくなるものだが、これが仕事となると二者択一を迫られる。それはその仕事から逃げるか、それともその不快な局面を打開すべく徹底的に戦うかが男の道となる。男に逃亡は許されないからおのずから一つとなる▼先月号の編集後記に市議会の混乱とその元凶が存在することを書いたが、早速、読者の方からハガキをいただいた。ただ、残念なことにその方の住所・氏名・電話番号が明記されておらず匿名なので連絡はできない。紙上で糾明してほしいとの要望があったので、これからおいおい追求していくが10月号のホームページに書いてある。その元凶はだれであるかは議員各自はとうに知っていることで、9月議会で「次の市議選には出たくないが旧田無の不明な面を糺すために出ざるを得ない」の発言をし「辞(や)め辞(や)め」の野次を浴びひんしゅくを買ったばかりである▼「旧保谷市議には三悪がいる」とは旧保谷市に住み実情をよく知っている知人の言葉であるが、その中にはしっかりとその市議の名前が入っていて、なるほどと感心したばかりだった。その三つのトライアングルを描くと市議会混乱の図が透けて見えてくる。「ワルに限って票を取る」と言うから、このホームページが出る頃には市議選で再選されているだろう。まさに衆愚の選択▼今月のテーマは自己犠牲。これはある晩に酔臥(すいが)の状態のときに忽然と現れた四文字。それにまつわる文脈が連綿と横溢してとどまるところを知らず。この欄の1回分は優にこえて、わが奇才ぶりに陶然として枕もとのメモ帳に自己犠牲としたためたのであった。翌朝、その文字を眺むれば、從横無尽のひろがりを見せていた名文の数々はあとかたもなく霧散していて「ン?」となったしろものである。しかし形骸と化したこの四文字はあなどりがたく生きつづけ、前の文章へとつながっていく▼というのも人生そのものが他人を敬い、人の心を思いやって自己を犠牲にしているから円満に運んでいるのではないかと思えるからだ。他人を支配したり、命令に従わせたり人との関係に恣意をはさんではことを荒立てるだけだからである。「悪」という冠名をいただく前述の議員の意見をねちねちとあげつらったり茶々を入れたりすれば嫌われるのは当たりまえで、そこに良識のある我慢と多少の自己犠牲が要求される▼わが人生をふりかえると自由に気ままに生きてきた感じではあるが、本能のままに勝手に生きてきたわけではない。他人を思い、他人に合わせ、波風を立たせることなく自己抑制を忘れずに通してきたつもりである。人生の終章の部に入った現在、一層の自己犠牲と自己抑制をもって身を処していきたいものである。また、人生の終章を味わっているときそうっと放っておいてもらいたい心境である。


共同企画 後藤喜好