あつかましさと僅かな度胸があれば人は政治家になれる。だれだったか忘れたが賢人の言葉だ。そのときは、この賢人は政治家にジェラシーを抱いているのかなと感じたが、今の国会を見ていると、満更でもないと思える。平気でウソを押し通すあつかましさとパフォーマンスを続ける度胸、あるいは人前であろうが大声を張り上げられる度胸とあつかましさ、これらを兼ね備えておれば立派な国会議員たりうる資格があるといえよう▼このところテレビ・新聞の俎上に載せられている国会議員の疑惑の数々。これに週刊誌も加わって情報を氾濫させるから国民のみなさんはいささかウンザリの傾向だが、議員とはそもそもがこの程度のものなのである。国のため、国民のためとは当選するための外交辞令みたいなもので、内心を糺せば自分のことしか考えてはいないのが実際である。国のため国民のために働いていると本人は思って特権意識を持っているが、おおかたは錯覚であって自分の名誉欲が大部分を占めている。テレビの前の国民の目は、ほとんどがそう見ている。そして疑惑を弁明する議員の表情を見ていて、そこにウソを確実に感じ取っているのだ。政治不信はますます増幅するゆえんである。もっとも議員も大臣にでもならなきゃ権力を行使することもできず、単なる陣笠にすぎない。その点、地方自治体の首長の方がマシというものである▼国会議員に備わっているもう一つの特徴は、金銭に対する優れた嗅覚である。「おいしい」ことは法律を改正してでも自分のものにする才覚を持っている。天井桟敷に棲む前の筆者もそれで痛い目にあっている。その才覚というか嗅覚を包み隠して、さも清廉潔白でございと「政治資金規制法」をつくったが、根が卑しい故に今度はそれで自分の首を締めている▼そしてまたぞろ「メディア規制法」だ。個人のプライバシーを守るとの錦の御旗で報道を規制しようとしている。私人ならともかく、政治家たる公人ならプライバシーは白日に晒ルビさらしても疚しくないはずだ。天地明神に誓って真っ白であるならそんな法律は不必要であろう。将来わが身に不都合が生じそうなものは排除しようとの魂胆が見えみえである▼目に青葉のすがすがしい季節を迎え、たまには詠嘆調の文でも書いて連休に入ろうと筆を持ったのだが、政界のさまざまな疑惑が雨後の筍のように発生してきて、苦々しい文章になってしまったことは残念。


共同企画 後藤喜好