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だいぶ前から気になっていて目ざわり耳ざわりな言葉に「立ち上げ」というのがある。「〜の構想を立ち上げ」「〜の事業を立ち上げ」など、官も民も硬軟ところかまわずのご乱用で、その都度ひとり違和感にさいなまれてきた。こんな文字や言葉がこれから日常的に使われていくのは耐えられないなと思ったりもしたものだ。活字として間違っているとか、表現としておかしいとかは別の意味で、響いてくるものに嫌な感じをうけるのである。感覚がうけつけないのである▼そんなとき「起ち上げる」なる活字がとび込んできたので、まさに飛び上がらんばかりに狂喜したのであった。わざわざルビ付きである。この筆者も「立ち上げる」言葉を苦苦しく思っていたのではないか。そうでなければルビは付けまい。「起ち上げ」はこう書くのですよと諫めている。事業を起こすことを起業といい、起こした人を古来から起業家という。立業家とは誰もいわない。物事をはじめるときは誰もが基礎固めをしっかりとしその上に一つ一つ物を重ねていく。経験と努力を積み重ね事業を進めていくものだ。議員さんの机の上にある名札のように、ヒョイと「立ち上げ」るほど軽々しくはないのである。ヒョイと立ち上げるから、簡単に名札のようバタンと倒してしまう。立ち上げた構想も事業もいとも簡単に元にもどしてしまう。そういう曖昧さ、胡散臭さ、軽さがこの「立ち上げ」にはつきまとう。違和感もそんなところから生れるのであろう▼ところで「起ち上げ」を声に出して「たちあげ」と読んだとして、聴く人は「立ち上げ」と理解するであろうし「起ち上げ」はあくまで活字上の表現に限られる宿命を背負っているようにも思えるのだ。折角のすばらしい言葉「起ち上げ」も認知されないまま終わってしまいそうな危惧もある。早く広辞苑に登録してもらわないと死語になるのではないか。あるいは「立ち上げ」がもう登録されているのかな、と最新の広辞苑で調べれば「立ち上げ」はコンピューターに必要なソフトを読み込ませ動くようにすることとある。なるほどコンピューター用語であったのだ。どこか宇宙人的な奇異な語感はそこに起因していたのである。古くからの農耕民族には忌避したくなる言葉の感覚はコンピューターからの転用であったためなのだ。「〜の構想を立ち上げ」や「〜の事業を立ち上げ」はやはり邪道な表現というものであろう。議会を傍聴しているとき市側の答弁によく「〜早急に立ち上げ」など耳にするときがあったが、それがこの欄の伏線となっていることは確かである。何かいい表現はないものかと思い悩んでいるのも事実である。
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