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俗っぽく解釈すると余りいい感じではないが、物事や情況によってはいろんなものに当て嵌まるのが「同床異夢」。人間の社会を言い表していて妙である。同床ではないが、孫娘があそび疲れて早々に寝入っている寝顔を見ていると、「どんな夢を見ているのだろう」といとおしく思えてくるし、真夜中にとなりの布団で寝入っている家人を見れば、「どんな過ぎ来し方を夢見ているのかな」と心が痛むこともある。これはおのれのざんげも入り雑じったもので、年を重ねるごとに深みを増してくるが、男たるもの片言隻語といえども口に出して言ってはならない。言ってしまえば最後、結婚当初からの悪行のかずかずを並べ立てられ傷つくのがオチである。人それぞれが夢を見る。人の夢に手を出さないのがいちばん▼他人の弓を挽く莫れのことわざがある。他人のものに手を出してはいけないという戒め。視野をひろく世界に向けると国と国との争いは他国のものに手を出したがために起きている。他人の領域に無断で侵入したり掠奪したり、無謀な計画を企てたりと。宗教上の争いも他の宗教を認めることができず排除しようとするから起きる。多くの宗教が混在する日本の文化はすばらしいという結論にいたる▼同じ布団に寝ていても毎夜に見る夢も異なるもの、これも同床異夢の変形であろう。そのときの体調や室内にただよう寒暖の差によってここちよい夢であったり、朝の目覚めまで尾をひくような不快な夢であったりと同じ人間なのに千差万別、心象のデリケートなものまで反映して夢は訪れる。煩悩多くして人間が生きている証拠であろう。生理的な圧迫感(尿意)があるとき、少年のころは田圃の青蛙に向かっておもいっきり放尿し、そう快な思いをしたものの一転して布団を濡らし、奈落の底を経験したものだったが、いまはその寸前に人が現れたり、そこが禁断の場所であったりして目が覚める。年齢とともに夢も異なってくる▼閑話休題、同床異夢の現象は組織のなかにも存在する。昼あんどんのように窓ぎわでのんびりくつろいで、日和見をきめこんでいる処は別にして、個性的な集団であればあるほど、その見る夢は特異なものであり、独特な発想のもとに描かれる夢が多いことと思える。この場合の同床は同じフロアであり会社であり、同じ舟でもある。それぞれの個性と夢を認めて育て、全体のバランスのなかで羅針盤の役目を果たすのが長たるもの。従うものも筋道を踏まえ、長幼の序を重んじてことを運べば舟一体となる。船頭多くして船山を上ることもあろうが、それもいいではないか。最後に断を下すのが長であり、同舟相救うことになる▼根本においてそれぞれの同床異夢を認めることにより会社も社会も、そして国家も民族も共存することができるようになる。蓋し、どこまで許容できるかむずかしいことでもある。
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