日本の四季にも独特な音があって心地よい音とそうでない音とがあるようだ。夏の乾き切ったような音はただ喧騒なだけであまり歓迎されないが、それが過ぎて周りの気配が落ち着きをとりもどすとさわやかな秋が訪れる。夏にあった騒々しさを秋の大気が吸収するからか、人間の心までおだやかになってくる。道端に置かれた鉢植えの秋草や木箱の中でかれんに咲く菊の花を見て、人はすなおに美しいと思う心になってくる。季節の音は人の心まで変えてくれる。この時期の音はなにもかもが透き通るように透明で美しい。しかし、いい季節ほど移ろい易く、さわやかな秋もほんのひとときで、木枯らし一号が吹くと荒々しい冬がやってくる。落葉を巻き散らし、大売り出しの幟をあらぶらす寒風の音は身も心も切りきざむようで嫌な音の一つである。隙間から吹き込んでくる北風の音などはヒューとうらぶれていて物悲しくさえある▼そこで健康な音を一つ。小学校の近くに移り住んで30年ほどたつ。30年は計算してみれば長く、最初は子供が小学校に通っていたが、いまは孫が通っている。ところが毎朝きこえてくる小学生たちの元気な遊び声は30年前と少しも変わらず同じ音声のままでひびいてくる。歳月は流れても小学生たちのはち切れんばかりの叫び声や校庭を駆け回るかけ声は年を取らないままである。これからも変わらないであろう。おのれ自身が30年前のままなのではないかと勘違いしてしまいそうだ。しかし、これは容貌の衰えを見れば一目瞭然で大いなる錯覚ではあるが、子供たちのいきいきとした遊び声は老いぼれに活力を与えてくれることは確かだ▼その反対に不健康で嫌な音と言えば誰しも最初に浮かべるものは車のクラクションの音であろう。この頃はドライバーも滅多にクラクションを鳴らさなくなったが時折、路線バスやタクシーが歩行者を批難するように鳴らすことがある。当人は「ご注意ください」の意味であろうが鳴らされる人間の被害者意識は大変なもので、手元に石でもあれば確実に標的としたい心境になる。ほかに暴走族風な若者のクラクションは「おいコラ」的で言語道断、人間の許容範囲を越えている▼心すべきは自転車のベルの音で、歩道を走りながら歩行者の背後でベルを鳴らすことだけは避けなければならない。歩道を通させて貰っていると思えばベルなど鳴らせるものではない。間断なく鳴らしながら自己主張する老人もいるが、これは恍惚の領域で如何ともしがたい▼東大農場正門の所沢街道に横断歩道がある。ちょっと横断に難渋するところでもある。某日、横断しようとしている婦人を見つけ率先道を譲った大型トラック「東邦運輸」とある。社長はたしか安協の役員さん。安全運転をここまで徹底されているとすがすがしさを越して尊敬の念さえ涌く。音ではないがさわやかな一コマを付け加えて、おわり。


共同企画 後藤喜好