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「この頃おとなしくなった」「書くものが円くなった」と言われる。文章にキレがなくなったということであろう。「年をとったなあ」としげしげと顔を見て言ってくれた御仁もいた。これなどは単刀直入で気にしている核心を衝いたものだったので思わず息をのんだ。この欄の顔写真もなんとかしなけりゃと思いを走らせたくらいである。この毒舌の人は「ひかるおか」の渕上氏でご自身は間もなく八十路に入ろうというのだから意気や軒昂。「新聞もおもしろくなったナ、きみが書かないからだろ」これぐらいの悪たれを平気でいう▼新聞をはじめた二十年前、表敬訪問した私の頭の中は時価発行増資とか転換社債とかの経済用語がぐるぐる回っていた。「買回り品・最寄り品って知ってるか」と渕上氏。中央の経済知識より地元に密着した商売がどれだけ重要かをさとすための一喝だったと受け止めている。後日、氏は戦時中に山形の神町航空隊に所属していて敵の空襲に遭い九死に一生を得たこと、その時わたくしは十数キロ離れたわが家のさくらんぼ畑の木の上でさくらんぼを頬張りながらその模様を眺めていたことを知る因縁だ。以来、氏の知遇を得ているが、お互い年をとるのも当然であろう▼そんなわけで寸鉄人をさすような言葉はだんだんと少なくなってはきたが世の中の理不尽に対する憤りの反応はかえって激しさを増しているようにも思える。怒りは他に遷さずを心がけているだけである。孫の顔を見て怒鳴るじいさんはどこにもいないのと同じ心境だ。ときには馬の耳に念仏をきめこむこともある。年を重ねるとわずらわしいことは億劫になり、目障りなことは避けて通りたくなる。そしてわずらわしいことと目障りなことがいかに多く存在するか、周りをかえりみてもその数の多さに驚くはずである。血気盛んなころにはもっとも興味のあったものさえ億劫の対象であったり、若いとき誇らしげだった行動や、個性的で見栄えすると思っていた態度や服装さえもが目障りなものに思えてくる。人生に修飾語や装飾がいらなくなってくる。人生を美化したり詠嘆的にならなくなってしまっている。「おとなしくなった」り「円くなった」りは人間が退化したからであろう。要注意現象といえる▼とそこで張り切ったところで所詮はムリ。人間には青・壮・老と三つの世代があって三分野で棲み分けているから波風が立たずに回転している。老人が青年の世代に踏み込んでああだこうだと口煩かったらどうするか、張り倒されるのがオチだ。身のほどをわきまえて棲み分けに徹していた方が無難である。「静かにしているから邪魔しないでくれ」は老年層の願いであり。「羽目をはずすけど若気の至り」は青年層の言い分であろう。三分の一ずつ棲み分けてこそ平穏無事というものだ。見ざる・聞かざる・言わざるの三猿の像になってやるか。
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