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間もなく秋風を迎え秋刀魚の季節がやってくる。背中が青黒く腹は銀白色をした秋刀魚を七輪(こん炉)の上でもうもうと焼き、大根おろしと醤油で食べる秋刀魚の味はご飯によし酒によしで、人間に至福のひとときを与えてくれるようだ▼あはれ 秋風よ 情あらば伝へてよ ―男ありて 今日の夕餉にひとり さんまを食ひて 思ひにふける と。(中略) さんま さんま さんま苦いか塩っぱいか そが上に熱き涙をしたたらせ さんまを食ふはいづこの里のならひぞや あはれ そは問はまほしくをかし。▼佐藤春夫の有名な「秋刀魚の歌」の詩の一節であるが、いまどきの秋刀魚はこの歌のようにわびしい魚ではない。庶民的ではあるがもうちょっと高級な秋の季節そのものを感じさせる御馳走である。その秋刀魚、このように漢字で書くのが品格があっていちばん似つかわしく感じられる。佐藤春夫の詩では秋刀魚にさんまとルビがつけられているが、どうもこのルビはいただけない。明石家さんまなる遊芸の徒とダブッてしまうからである。秋の味覚として親しまれている秋刀魚に対し、このさんま氏、いささか失礼なのではないか。佐藤春夫もさんま氏も和歌山県生れだったか、「秋刀魚の歌」にちなんだ芸名だろうが、北太平洋に育ち、夏の終りに北海道方面から南下してくる純真無垢な秋刀魚にとって、一見軽佻浮薄なこのさんま氏耐え難い存在のようにも思える。秋刀魚にかわって苦言を呈しておきたい▼ある日曜日、所属する団体の催しごとがあって夕刻まで参加する。齢は争えずぐったり疲労で帰宅。ひと風呂浴びて冷えたビールでのどをうるおす。ここに焼きたての秋刀魚があれば言うことなし、と、どっこいテレビでそのさんまなるご仁がしゃべくりまくっているではないか。疳高い関西弁が神経を逆なでする。思わず「オイッ、消してくれ」と声が荒ぶる。好き嫌いの激しい性格は生れつきであるが、このさんまなるご仁は理屈抜きで嫌いである。何をしゃべり、何で白い歯を剥き出して笑っているのか、片言隻句さえ聴くことを拒絶しているからそのご仁がどういう人物なのか知るよしもないが▼また元にもどって、七輪の上で秋刀魚が香ばしい煙を上げている。そういう情景はいつも浮かぶのだが、もうそういう情景はほとんど見受けなくなってしまった。遠い昔におふくろが焼いていた記憶の中の情景となっている。小さい頃の懐かしい思い出でもある。それが一方的に破壊されていくようなテレビ人物の映像、本人は見ていなくても家人が見ている時もある。そして、炭火焼きでなくともあまり秋刀魚を食べなくなった自分を発見する。やはりさんまなるご仁の影響であろうか。疲れた体に睡魔が襲ってきて日曜日のよるは過ぎていく。寝しなに書いたのだろう「さんま嫌い」のメモ書きが、翌朝の目ざめの枕元に置いてあった。
共同企画 後藤喜好
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