むかし赤毛で、いま白髪、そのうえすこし禿かけている。天井桟敷に棲む男の容貌を表現するとこうなる。若いころ髪の毛が赤茶けていてどうにかならんかと悩んだものだった。髪を洗わないでいるとだんだん埃や脂でうす汚れて黒くなるのではないかと実行したが、不潔なにおいが充満するだけで効果はなかった。寝ぐせをなおそうと櫛を入れると櫛目に垢がへばりついてきてこれも不快。グリスを塗ろうと思ったが、これは学帽の上だけで高校は終った▼いま茶髪が大流行である。五十年前なら時代の最先端を行く純粋な茶髪だったのに、いまは白髪頭で残念至極の思いだ。流行の方が五十年遅れていると思い込んでいる。さて、茶髪の善男善女の将来はどうなるのだろうか。ムリに人工着色したりすれば、白髪を染めたばっかりに、ほんの数本の白髪だったはずが染料の影響かだんだんと漂白されて、髪の生えぎわから白くなって、ある日とつぜん真白になっている、そういう現象が茶髪のみなさんに起きないかと心配している。日本人の何分の一かの茶髪の人間がとつぜん総白髪となったらどうなるんだろう。あっちも白髪、こっちも白髪ではもう老人屋敷の寓話の世界みたいになってしまうと憂いたところで、そのときは別な着色剤が発明されているだろう▼茶髪現象を分析してみれば、なにか他人とちがう個性的な髪にして差をつけようとする人種と、流行に遅れないようにしようと茶髪に走った人種と二種類いるのだろうが、似合う人と全く似合わない人がいるとはまさに天の配剤の妙、自然のありのままがいちばん美しいことを教えてくれている。黒髪が艶やかに輝き白色の膚をひきたてて日本人の美しさを誇れていたのが、ある日とつぜん茶髪となって得体の知れない人種になったのでは勿体ない。総体的に茶髪は痴呆系の印象であり、黒髪は知的な印象を与えている▼ある日そういう偏見をもって人通りの激しい駅前に立ってみる。茶髪人間が意外と少ないのは新発見であった。若い女性でも黒髪を風になびかせ颯爽と歩いている。茶髪系は比率にして五十人中六〜七人ぐらいであろうか。そして男性の禿も白髪もそれぐらいの比率しか数えることができないのであった。人間の偏見とはいかに片寄ったものであるかを思い知る▼人人は自然のあるがままの姿で生活していることがいちばん自由で気が楽であることを知っている。他人とちがう恰好をしてみても所詮は肩肘が張るだけで貼り薬の厄介になるのが落ちと知っているようだ。日本人の持つ清楚さと美意識があればまだまだ日本人は捨てたものではない。日本の四季折々を愛で富士山の美しさを忘れないで生きいく多くの人たちがいることを茶髪調査の結果知ることができたのであった。「一斑を見て全豹を卜す」危険はこんなところにもあった。


共同企画 後藤喜好