「もうはまだ」「まだはもう」この順序のあと先はどうだったか忘れたが、多分に人間の生き様を表現していておもしろい。もういいだろうと思ったものが中途半端であったり、まだまだがもう限界に近かったりはよくあることで日常茶飯事お目に掛かる。卑近な例をあげれば切りがないが「もうその辺で止めにしたら」「なんの、まだ、これっぽっちしか飲んでないぞ」と空の徳利を振りかざし、酔払っていないことを強調する酔いどれ。呂律が怪しくなっていて、まだまだは完全に「もう」の領域に入っている。映画のシーンなどでよく見掛けるが、ときにはわが家の夕食どきの一景でもある▼長引く不況で会社の業績は一向に良くならない。そんな中で孤軍奮闘しているのが社長さん。とくに創業者は会社への思い入れが強いから「立ち直るまで、まだまだ引退はできない」と張り切る。借り入れは膨脹していって限度いっぱいになりつつある。もう引退の潮どきであろうにまだまだと深みにはまっていく。近ごろ流通業界に見た「まだはもう」の現象である▼賭博場などにおける「まだはもう」「もうはまだ」の見極めは、その者の人生に勝者劣敗の綾をもたらすことさえある。勝負事には運・不運はつきもので、それが微妙な流れの中で移り変わる。勝利の女神の浮気心というものだ。まだついているぞは、もうそろそろ落ち目が近づいている頃でもあり、もうついてもいい頃だと不運を嘆き、目を吊り上げて深追いすれば、勝利の女神はまだまだと逃げて行ってしまう。最高の運のところで打ち止めにするか、あるいは不運を察知してさっと引き揚げるか、その決断と勇気が人生を決める(そんなこと理屈で分かっていても止められないのが博奕でもある)▼政治の世界における出処進退においてもこの「もう、まだ」の方程式は当てはまる。「もう引退して余生を楽しみたい。遣りたいことがいっぱいある」と無欲恬淡な人格者には「まだまだあと一回」と声が掛かる。「もういいよ」と資質と能力を問われる政治家は「まだまだ」と反省も臆面もなく出馬してくる。政治の世界も賭博場と似ていて面妖である▼「もういいだろうはまだのうち」はこの天井桟敷にもよく現れる。誤字・脱字に校正ミス、何回も読み返しているから大丈夫、それに自分の書いた物などそう読みたくもないし、記憶にインプットされているから素通しで読み進んで行く。校正は上っ面だけで新聞が配布され暫くたってから気がつき冷汗りんりとなる。あるいは読者の指摘で赤面する始末▼刑事が張り込んでいて「もう来ないだろう」と引き上げようとした時に犯人は現れる。刑事もののドラマの常套手段だが人間の機微というか人生そのものを衝いていておもしろい。人は引き際が大事。誰しも知っているのだが、「まだ」も「もう」も曖昧なまま人生の終りを迎えるのが常のようである。


共同企画 後藤喜好