21世紀。おめでとうございます。ご近所の氏神様や厄除け寺院で初詣をすませ、ひと風呂浴びてお屠蘇気分でくつろがれておられるのでは。正月のテレビもそろそろ見飽きて、新聞も読み終わったし、どんなチラシが入っているのか、手遊びしているうちにこの新聞が見付かったりして、まさに穏やかな一日、一年、一世紀のはじまり。平凡で静かな時の流れこそ悠久の平和というものでしょう▼そんな感慨に耽っているのも昭和のひと桁生まれの悲しいさがで、波乱万丈とまでは言わないけれど、ずいぶんといろんなことを体験しすぎてきたように思える。戦時中、小学校の雪が積もった校庭に素足で立たされ、生意気な教官の訓示を受けたことなどからはじまり、戦後の長い歳月は試練の連続であったようにも思える。21世紀なる言葉が出始めた頃など、そんな新世紀まで生きていられるのか、とうてい持つまいと思っていたがどうにか持ち堪えた。忙しすぎた20世紀からようやく抜け出せた感じ、これも年取った感慨であろう▼元旦にお屠蘇でくつろぐなど、むかしはむさくるしくて元旦から飛び出したものだった。何かに追い立てられているような20世紀であったが顧みると遊ぶことにも忙しすぎた20世紀であった。飲む打つ買うは男の悪性で、古来からこの三拍子これほど面白いものはない。かつてはこの三拍子元旦から営業していたものだったが、いつからか自粛するようになってしまった。似非教育の影響であろう。正月早々ギャンブルでスッテンテンになる人生の落差は経験した者でなければわからない。その口惜しさは人間の不幸を一手に引き受けようにも思えるのだが、次の瞬間「くそッまたあしただ」と新しいファイトが湧いてくるから男の本能とは不思議なものだ。負けて負けて打ちのめされてもまた頭をもたげてくる執念は、ちょっとのことでは人生にも挫折しない強靭な精神力も養ってくれる▼口惜しいにつけ悲しいにつけ楽しいにつけ飲む酒(本来そんな酒はなく飲みたいから旨いから飲む)もはじめは酔っ払いにすぎなかった領域から幾星霜と盃を重ねるうちにやがては穏やかな酔いどれの域に星華されていく。これは誰しもが経験する人生の流れのようだ。「どう元気?」「あまり元気ない」「ガソリンが足りないんだろう」。「入院したんだって」「うん」「飲み過ぎたんだろう」。ここのところ交わされる挨拶。天井桟敷の住人がいかに酒呑みか巷間周知の事実となってしまった▼21世紀を迎えることなど不可能に近いと思っていたことは先に述べた。それが出来た。20世紀に生まれ21世紀に終焉を迎えることができる。そしてその時の死の原因は単純明快「飲み過ぎ」。世間的に忌み嫌われる癌とか脳梗塞とかではなくて「過飲往生」。天井桟敷の酔いどれにはいささか過分な尊称ではあるが、事実がそうでありたいとの願望も込めて「過飲往生」。


共同企画 後藤喜好