10年ぶりに腫瘍が見つかり入院。「もう大丈夫」と太鼓判を押されても2度目ともなるといずれその時が来るかもしれないと観念はしている。長い悪道の終焉、ふとそんな言葉が浮かんだりする。人は生まれた時は同じ線上にいてもそのあとの経験や教育などにより紆余曲折の人生を送る。物価や株価の指数のように上にのびたり下にさがったり。上にのびるのが王道なら下にさがっていくのは悪道であろうか。やがて長い歳月が過ぎて別々に別れていた指数はある線上で合体し未来の空間に吸い込まれていく。指数は未知の無限の世界に消えていってやがては無となる。それは死の世界であり涅槃への道のりである▼「がんよりも脳梗塞の方が心配ですよ」病院の女医さんが言う。折から小渕前総理の入院と重なっていて動脈硬化の症状が指摘される。動脈が詰まっていて脳への血行が妨げられているという。「その時は安楽死だ」「本人の意識はなくなっているのよ」「ああ、そうか」。本人は安楽死を望んでいても意識がなければその意図はだれにも伝わらず、家族は唯々として医療費を払い続けなければならない▼今年はじめ右目に障害が起きて視力が半透明になったことはこの欄にも書いた。それが眼科的な症状ではなく血行障害からきた脳神経内科の領域のものであったとはあとで知ること。人間のからだの中を流れる血液がどんなに大事なものであるかは病んではじめて知る▼悪道からそろそろ身を引き涅槃の境地に歩みはじめてはどうか、生臭い煩悩の世界から足を洗ってはどうかとほとんど毎日のごとく心の片隅が疼くが”他人よりはずっと気が楽裏の道“という具合で悪道の住み心地は結構楽しいのである。体内をどうにか温かい血は流れているけれどこれまでの来し方を振り返って王道とは程遠い道を歩んできたことだし、悪道も中ぐらいの小市民的な悪道をいまさら軌道修正できそうにもない。地位も名誉も金(これのないのが一番弱い)もなく、ただひたすら悪道を究めることは結構物悲しいものではあるがもうしばらくはご容赦をお願いしたい▼死と隣り合わせと言われる病気に罹ると人間は変わると思われがちだが人間の本質はそう急激に変わるものではない。多少生活様式は変わるが禁煙ぐらいでこれは病室内が禁煙となっているだけで禁煙が習慣化してしまう。にわか宗教に入ったり般若心経を読んだりしていてはかえって病気を重くしてしまう。消燈前にこっそり病室を抜け出し寿司屋で一杯やるぐらいの悪たれが病気に打ち克っているのが現実。悪道に長年付き合わされた家族こそがいい迷惑であったろうが、そのことを何かのついでに言われようものなら「何を!」となって悪道の本性に帰るからこれは禁句である。悪道から涅槃への道を書こうとしたが悪道のすすめになってしまったのはいささかお粗末であった。


共同企画 後藤喜好