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晩酌に水割りを飲んでいて、婆さんや孫たちは賑やかにメシを食べている。「おれもメシを食って寝るか」。そんな変哲もないひととき「人の為って偽と書くことではないか」。突然その場とはなんの関連もない思惑や言葉が踊り出してくるから不思議な思いだ。むかしからそんな現象はあったが、ここのところの頻度には年齢からくるものかなと心配でもある。以来「人の為って偽りなり」の文字が脳内をうろちょろしていて邪魔なこと夥しい。早く退治しないと生活思考が前にすすまない。
▼人の為に善いことをする、善をほどこす、これは世間一般の常識からみればこんな素晴らしいことはないと思えるのだが、漢字を合わせると偽善となるとすると、ちょっとおそろしい気がする。先人はそこに何かを意味深に忍ばせてでもおいたのか。人の為に善をほどこして偽善者呼ばわりされたらこれは救われない。人の為に善政をやったと連呼する為政者なるもの、あまりのしつこさに偽政者なる冠を頂戴させられるのは分からぬでもないが―。
▼世の中で献身的に尽す職業は数多くある。警察官からはじまり警備員、はたまた高齢者事業団の自転車を整頓する人、真夏の炎天下たいへんなご苦労である。そのほかいろんなボランティアの方々、人の為に尽すその姿勢をだれが偽善者と呼べようか。
▼そして最も献身的な職業に病棟の看護婦さんがいる。さんと敬称をつけざるを得ない病棟のひとこま。ことし初め二ヶ月ほど入院した。生憎の相部屋で三日後隣りに入ってきたのが79歳のがん患者、自称「いい年寄りなのに弱虫なの」というわけで箸にも棒にもかからない我儘ぶり。先客に遠慮するどころか食事中でも放屁自在。枕元の釦を押しては看護婦を呼び、「腰が痛い、足が痛い」と甘えながら昔ばなしを延々とつづけている。甘い物がやたらと好きらしく「ズズーズズー」と食っている。ほかの看護婦では気に入らず勝手に自分の担当を決め甘えている。看護婦も「ウンウン」相づちを打って聞いているから増長して、最後にはこっちの腹が立ってきた。三週間で退院して行ったが引き取る家族も面倒がっている風情であった。
▼身内でもない患者に釦一つで呼び出され世話を焼かされる看護婦さんこそ迷惑と思えるのだが、そんな表情は何処にもなく、夜勤ともなると廊下を往ったり来たりの大忙しさで自然と頭のさがる思いをしたものである。病人に尽すことを聖職と心得ているのか、そんな思惑はひとかけらもなく心底から患者の為に尽している。そこには天使の心が存在しているようであった。人の為などと微塵も思わず、人を愛する自分の心に素直に従い行動している。その姿は美しい。ボランティアの方々も人の為などと思わずに、自分の心から湧き出る心情に忠実だからつとまるのであろう。自分の心の為にやっているから自然で魅きつけるのであろう。
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