背広にネクタイ姿を放り投げて、ラフな恰好で歩いている。靴からスニーカーに代わり、その上、帽子スタイル。先日「ひかるおか」さんの店頭で右手をピストルの形にして「金を出せ」とふざけてみたが「マスクしなけれゃダメだ」と一蹴されてしまった。帽子で白髪あたまは隠れているし変装したつもりであったが、まだ、マスクと色眼鏡が不足しているらしい。いま程度の変装では素性も人相も割れてしまうようだが、それでも道で行き交う時ふと知人も知らぬ気に通りすぎたりするから変装の効果は皆無とはいえない。こちらが挨拶して相手があわてて振り返る場合もあって、こちらが分かっていても相手に分からないのは失礼なのではと自問する時もあり、そんな時はあわてて帽子を脱ぐ。そのことでも分かるように帽子は装身具の一つではあるが、相手から身を隠す作用もあって相手方からみれば不公平であって容姿公開に反しているぞと言われても致し方がない。
 確かに、帽子を被ると自己中心的な感覚をもたらすように思える。帽子を目深に被って覗き見をしている感覚だ。ただ、私の場合は独眼流のように片目が不自由になり片一方への眩しさが激しいために帽子を被っているに過ぎないのだがー。
▼「お早よう」田無二中通りを自転車で事務所に向っているとき、背後からよく透る声、一声で瞭然とは変な表現だが写真家の西濱剛氏だ。自転車を漕ぐ私の恰好はジャンパー姿に頭上に帽子、大変装のつもりであったが、西濱氏には私という老人の姿が的確に捕えられていたのであった。二〜三あいさつを交わしたあと「お先に」と颯爽と西濱氏。人間のうしろ姿はちょっとやそっとでは変らないのであろうか。それが貧相であろうとうしろ姿は正直なものなのであろう。その時の感慨がこの天井桟敷のもととなっている。
▼その自転車の辿りつく交通の難所が都市計画道路の開通に伴う通路の変更と分かりにくさである。計画道路沿いの歩道はまあまあとして、新青梅・所沢街道沿いの歩道は旧態依然とした狭苦しさであって信号が変わるごとに、歩行者と自転車が追われたバッタの如くにその歩道に殺到するから危険なことこの上ない。新道路形態の考案者や設計者は一度でも歩いてみたのであろうか。二つの幹線道路を渡るのに朝夕ともに念仏を唱えながらの横断である。ここでも自動車優先、歩行者・自転車は余計ものの感覚が溢れているように思えてならない。交通の指導に当っている係員の方々もご苦労なことで頭が下がるが、この交通形態の変更で田無駅前の方まで影響がでている。駅前の大通りは無法地帯、自動車は路面駐車し警笛は鳴り止まない。自動車の運転はできないが、運転する人あるいは車で変装し帽子を被ったように自己中心的になって、まちと人を見ているのではないのか、と危惧しているこの頃ではある。


共同企画 後藤喜好