▼五月のゴールデンウィーク、九州でバス乗っ取り事件が起きて憂鬱な幕開けとなった。犯人は入院保護措置を受けていた少年。「なるほど」とうなずいて連休と犯罪との因果関係に「あるいは」と思いを馳せる。日曜・祭日ところによっては土曜日も休日となる医療機関が多い。医療機器も完全休止となるから点滴などの医療器具をつけたままの患者とか寝たきり以外の方は外泊OKとなって帰宅が許される。金曜日の午後など「ちょっと早い」が退院も可能なときもある。看護婦さんも医者の先生も暦通りの休日を必要とする。人手が足りなくなるから人手の要らない患者には外泊許可がおりるという具合。これがゴールデンウィーク前なら「多少あぶない精神状態」の患者でも退院となるのではないだろうか。連休にのんびりしたいのはお医者さんでも同じこと、それが人情というものである。
 そこで結論、連休初日の交通機関は気をつけようという三段論法が成り立つ。▼都内の総合病院前を通る路線バス。始発から乗り込むお客さんも大方はその病院行きでお年寄りも多い。杖をついた爺さん、降車口近くに座っているが落ち着きがない。混んできてますます腰が浮き立つ、とうとう立ち上がり「座りなさい」相手はまだ若い女性だ。爺さんから席を譲られても困る話だ、車内を見渡してもその爺さんがいちばんの年嵩に見えるではないか。
 「二つ目で降りるから座りなさい。足が悪いから二つ目まで歩くと三十分かかる。もう筋肉注射二本も打ってきた、痛いのなんの、朝6時起きで一番乗り、歩くのもやっとだ、座んなさい。歩くと三十分、バスだと二分だあ、座りなさい」
 そんなこと言われて座れる人間がどこに居る。
 「痛いのなんの、筋肉注射二本、朝6時起き―」
 どうやら爺さんの本音は朝6時起きで筋肉注射二本打たれた痛さにあるようだ。その苦労と痛みが誰も判っていないことが不満なようなのだが、こんな場合、定刻より早くてもバスを発車させ二つ目のバス停に着いてくれるのが乗客全員の救いと思える情景であった。
▼バスの中は人生の小さな縮図みたいな面がある。観光バス以外の路線バス、長距離バスなど、各人がそれぞれの人生を抱えて乗り込んでいるから思いも目的も別々である。その中で自分の生き方を主張し、自分の思い通りの行動をしたらどうなるか、目障りなうるさい存在となって車内のひんしゅくを買うのが落であり、ほかの人に不快感を与えるだけである。あるいは凶器で支配して犯罪者への道を転げ落ちるかである。社会の中で自分だけの思いを押し通して生きようなどとは大きな錯覚であり思い上がりである。バスの中でも自らをわきまえて動かず語らず静謐の中にたたずむ人のなんとも気品のあることか。人は若いときにそのことを知らず、年老いてそのことを忘れる。


共同企画 後藤喜好