人には分相応というものがある。それをわきまえて自分の持ち分を心得ながら社会の中で行動しておれば、大方はうまく円滑に事が運ぶ。ただ自分の立場とか、役割とかはそれなりに理解しているものの時の情勢次第で、ときどき心情的にあるいは感情的に自分の領分からはみ出して爆発し、物議をかもし出す人もよく見かけられるところである。人間だからしょうがない面もあるが、やはり、俺はという思い込みがあり、分不相応な思い上がりも見逃せない。とかく波風を立ててしまう所以。また、あとで省みると、相手が自分の領域とか持ち分まで無雑作に入って来ていたりして「分」をわきまえていないことが原因だったりする。「分」をわきまえることが「分別」であり、「分に応じて」「分に安んじて」行動しておれば世の中はうまく事が運ぶ。
 今、この世の中「分」をわきまえない無神経なものが数多くあるが、その中でも気になる癪のタネは物の「分際」で横柄な自動車のクラクションと乗り物の中での携帯電話である。その物の背後であやつる人間の資質や「無分別」がその物を嫌悪の対象にしてしまっているが、皆さんにも思い当たるフシがたくさんあると思われる。そこで、先日、ふと電車の中で思い浮かんだ車中携帯使用にまつわるパロディーの一つ。
 ==「JRならびに私鉄各社は車中携帯電話の使用時間を乗車料金に応じて左記のように決めました。 使用時間100円につき10秒 使用予定者は胸に料金表を必ず明示すること。以上」 某日、JR・私鉄の各駅頭に右のような立看板が現れた。車中の携帯使用は乗車券分だけとする、というもの。胸に料金表をぶらさげてその分だけかけたり受けたりできる。八王子から東京へ向かう人は約1時間位空白時間があるから乗車券分だけどうぞという親心も含まれている。ところが携帯を持つ者のマナーの悪さは相変わらずで制限時間オーバーは当たり前、以前にも増して車中のひんしゅくを買う始末。そこで現れたのが「時間測定係」乗務員に関係なくあくまでボランティア。携帯が鳴るとやおら現れ、時間を監視する。オーバーしようものなら「一秒、二秒、三秒…」とボクシングのレフリーなみにカウントするから厚顔無恥の携帯氏もへきえきして電源を切る羽目となる。ところがこのボランティアだんだんと服装が派手になってボクシングのレフリーなみの趣味となり車内監視に目を光らせ、呼び出し音が鳴れば素早く現れてカウントをはじめる。これを定年後の生き甲斐とする人も現れてもう携帯監視で車内の混雑は増すばかり、多い時は一人の携帯者に三人が寄ってきてカウントする仕儀となる。かくて車内は騒然、見かねた鉄道各社は車内携帯の全面禁止を決定した。==
 過ぎたるは及ばざるが如し。


共同企画 後藤喜好