だいぶ前までは国電や市電でも車掌が「おタバコはご遠慮ください」などと放送していたものだった。喫煙はそれ位におおっぴらで、時々車内でも吸いはじめる輩がいたからそういう放送があって当然であった。
 常磐線や京浜東北線などでそういう放送がはじまると、やおらタバコをポケットから取り出し吸いはじめるお兄さんもいた。そのニッカーボッカー姿も板についたもので、その反抗する精神状態が分からぬわけでもなかった。その時代、どこか社会全体が混沌とはしていたが、また活気もあったように思える。発展途上国的な雑然とした中で、何か伸び切ろうとする息吹きが感じられたものだった。
 車内禁煙はこんな中で広まっていった。いま車内で堂々とタバコを吸う人はいないし吸ったら袋叩きぐらいのひんしゅくを買う。
 この頃の車内禁止放送はタバコから携帯電話に代わった。「車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください」と直接的なきびしい表現をしている車内放送と「―ほかのお客様のご迷惑になる場合もありますので―」とどこか腰が引けた遠慮がちな放送があるが、ここはびしっとしたきびしい表現が望ましい。この禁止放送のあと「タバコ」なみにやおら携帯を取り出す輩はいないが、放送中に携帯が鳴り出し通話をはじめる輩はけっこういる。
 「タバコ」の時代、車内禁止放送と同時に「てやんでえっ」とタバコを吸い出したお兄さんと比べるとシラーッとして携帯を続けるいまの若い者、いや中年にしてもどこか「タバコ」と違い無気味で爬虫類的な存在感覚である。「タバコ」は邪気っぽいところで理解できて愛敬もあるが、「携帯」は携帯の向うが当人以外には分からない謎と闇の空間であるから拒否反応も倍加される。携帯電話の使い方も知らない私など「携帯」は非核3原則なみの「持たず 使わず 持ち込まず」であるから時代の流れに大きく遅れていることだけは確かである。
 世の中の流れは早く、時々刻々と変化する。月並な表現をすれば日進月歩で社会は回転している。21世紀になれば古い感覚の人間は置いてきぼりにされるかも知れない。だけどどっこい「天井桟敷」の人間は機械じゃなくて「心」で生きて道を全うしようと心掛けている、のである。
 茶髪、厚底サンダル、携帯電話、それに顔黒(?)、時代の先端を歩いていると自負している摩訶不思議な人類のその姿は、全てが虚飾品ではある。当人たちはそんなことは先刻ご承知であり、若い子に与えられた唯一の特権でもある。お婆さんがこんな姿で闊歩していたら噴飯ものであろうから、とかくのご意見は控えるけれど、若さも個性も光り輝くのは「心」が光り輝いている時であり、それが素晴らしい個性となることを年頭の老婆心に。


共同企画 後藤喜好