下野谷遺跡第7次調査(第1区)の全景

 西東京市の北側を流れる白子川の流域と南側を流れる石神井川の流域には、昔の遺跡が10ヶ所近くあります。その中で最大のものは、石神井川と青梅街道に挟まれた東伏見二丁目から三丁目にかけて広がる「下野谷遺跡」です。調査は9回に及び、古くは約2万9、000年前の旧石器時代から、新しいところでは約60年前の戦時中のものまで、数多くの遺跡や遺物が発見されています。
 もっとも古い遺跡は、約2万9、000年前の石器製作場所の跡で、これは今のところ、西東京市の中でもっとも古い、人間の生活していた証です。
 下野谷遺跡がもっとも栄えていたと思われるのは4〜5、000年前の縄文時代中期で、300軒以上の住居跡をはじめ、掘立柱建物跡・炉穴・落し穴・土坑墓など多数の遺跡が発見され、また、土器・石器などの遺物も大量に出土しています。下野谷遺跡は練馬区の富士見池遺跡も同一の集落だったと見なされており、現在までにわかっている遺跡の分布状況から推定すると、東西約1、350m、南北約330mと、南関東でも屈指の大集落だったようです。これは青森県の三内丸山遺跡に匹敵する大集落である可能性もあり、さらなる調査が期待されるところです。
 縄文時代中期は東日本各地で大集落が形成されており、縄文文化がもっとも花開いた時代だったといっても過言ではありません。下野谷遺跡周辺は食料が豊富なとても暮らしやすい環境だったようで、石神井川流域の中でもおそらく最大の集落だったばかりでなく、周辺のいくつかの集落の中心となる大拠点であったのかもしれません。
 ところが、その後の縄文時代後期から平安時代にかけてはなぜかわずかな遺物しか発見されず、遺跡もまったく発見されていません。しかし、石神井川対岸の下柳沢遺跡からは中世の遺構や遺物が発見されているので、何らかの理由で下野谷遺跡から移住したのかもしれません。
下野谷遺跡で発見された遺跡跡