西武新宿線東伏見駅の南側、東伏見三丁目にひっそりと建つ氷川神社の前身は榛名神社でした。永禄年間(約400年前)群馬県にある榛名神社の御分社として創建され、長く災忌除けの神として、村民の信仰を集めてきました。しかし、明治政府は神仏分離を発令し、神道を国家統制の手段とするため、神社の統治を図りました。明治40年(1907)になると一つの村に一つの神社と定め、他を合祀することとし、実質的な神社整理を断行しました。上保谷村下柳沢の鎮守さまだった榛名神社もこの例外ではなく、村の神社に指定された尉殿神社に合祀される対象となりました。
これに対して立ち上がったのが、榛名神社の氏子たちです。何とか合祀を阻止しようと埼玉県知事に神社存続の哀願書を提出し、合祀に賛成した氏子は村八分にされました。さらには、保谷村の村長を二代にわたって辞任に追い込むという、大きな政治問題にまで発展しました。この事態を見た尉殿神社からは合祀取消願までが出されましたが、大正4年(1915)、書類上の不備を理由に、ついに合祀を強行されました。
しかしなぜか、合祀後も榛名神社の社殿は取り壊されることなく残されました。合祀直後、氏子たちは竹槍や鎌を持って尉殿神社に押しかけ、持ち去られた榛名神社の鳥居を取り戻し、境内の入口に立て直しました。とはいえ、そこには祀るべき神様がおらず、国からは正式な神社として認められませんでした。そこで氏子たちは、維持に窮していた埼玉県浦和市蓮見新田の氷川神社をここへ移し、新たな氏神さまとして祀ったのです。榛名神社を失った窮余の策でした。
こうして現在の氷川神社となるわけですが、氏子たちは榛名神社をこの地へ戻そうと戦後も活動を続け、昭和58年(1983)4月、ようやく尉殿神社から榛名神社御祭神の返還が実現しました。その長い由緒を伝えるのが、神社内にある文化4年(1807)造立の浄水盤、文政2年(1819)造立の榛名大権現笠付塔一対、文久2年(1862)造立の榛名大権現礎石といった、榛名大権現石造物群です。これらは現在、西東京市指定文化財第37号となっており、往時をしのぶことができます。 |
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