今回は、西東京市内にある二つの神社を紹介しましょう。北町六丁目にある天神社と、新町二丁目にある阿波洲神社です。両神社は市の北端と南端に大きく離れていますが、現在は田無神社が兼務社となっています。
天神社はその昔、三十番神社と呼ばれていました。天正年間(1573〜91)の頃、朽ちるままになっていた下保谷の鎮守さまを、日蓮宗徒が三十番神を祀る神社として改修したのだそうです。三十番神とは法華経を守護するため、日替わりで割り当てられた30人の日本の神様のことです。人びとを救済するため、仏様が日本の神様に姿を変えたのだ、という神仏習合が主流だった時代の発想ですが、日替わりで神様が変わるとは、ずいぶんと欲張ったものですね。
それはさておき、その三十番神社の末社として存在していたのが、天神社です。明治初期の神仏分離令により、神社で三十番神を祀ることが禁止されました。このため、末社の御神体菅原道真を本殿に移し、三十番神社を天神社と改称したのです。なお、三十番神は明治政府によって焼却を命じられましたが、別当寺であった福泉寺(下保谷三丁目)に移されて現存、旧保谷市が文化財に指定しています。また、同社内にある「菅原道真石像」と「氏子中奉納題目塔」も市文化財として指定されました。
阿波洲神社は上保谷新田が開かれた後、宝暦年間(1751〜63)に創建された神社です。戦後教育改革の悪影響で、しばらく「あわす」神社と呼ばれていましたが、もともと「粟嶋」という漢字があてられていたことからもわかるように、
「あわしま」と呼ぶのが正解です。
上保谷新田は、おもに上保谷村の人々が移り住み、武蔵野の原野を開拓していったものですが、耕地に適した土地が少なく、その開発は非常に厳しいものがありました。阿波洲神社は、開発に苦労していた村人を一つにまとめるため、上保谷新田の鎮守さまとして建てられたと考えられています。

▲阿波洲神社境内 |
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