西東京発祥の地ともいわれる谷戸の宮山(現田無二中)に尉殿権現が建てられたのは、建長年間(1249〜56)あるいは正応年間(1288〜92)といわれています。いずれにしても鎌倉時代のことで、古くからここを中心として栄えていたことが、板碑などの歴史的資料の出土から確認されています。
江戸時代の初めに青梅街道が開通し、田無宿が成立したことにより、尉殿権現が現在の田無神社の位置へ移されることになりました。このとき、上保谷にも尉殿権現が分けて祀られることになり、現在の住吉町へ尉殿神社が建てられました。別当寺(神仏習合の考えに基づいて神社に設けられたお寺)の宝晃院に残された資料によれば、創建は元和8年(1622)ということです。
ところで、尉殿神社がある「住吉町」という地名は、「尉殿」の誤った解釈からつけられたそうです。「尉」は「老翁の能面」を意味することから、「高砂」の能で有名な高砂神社(兵庫県)に結びつけ、そこからさらに住吉・高砂の神が祀られていると解釈され、これにちなんで尉殿神社の周辺が「住吉町」に変更されたそうです。しかし、関東では「殿」が付く神社はいずれも水の神を祀っているそうで、「尉殿」は水の神そのものを表すのだそうです。
尉殿神社に祀られている神様は、「級長戸辺命」という女の神様です。もともとは「級長津彦命」という男の神様とともに尉殿権現に祀られていたそうで、「田無神社と尉殿神社が夫婦の関係にある」というのは、この言い伝えに由来しています。

▲天和2年(1682)建立の石灯籠一対(保谷指定文化財第13号)。社殿の左右に一基づつある
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