▲昭和20年代の久留米小学校。正門には2本の高い門柱があった
(写真提供・『光の交響詩』東久留米市教育委員会)

 先月2日、東久留米市立第一小学校(中央町6丁目)が開校120周年を迎えました。同校の歴史は市内15校の中でも最も古く、東久留米の教育を語る上で欠かせないものです。そこで今回は同校の歴史についてお話しましょう。

■成蹊学校と共立学校
 明治5年(1872)、明治政府は、新たな国の事業の一つとして、江戸時代から続く「寺子屋」を廃止し、近代日本の最初の教育制度である学制を公布。全国に小学校を作り、全ての児童が入学するように説きました。これに合わせて明治17年(1884)12月、東久留米における最初の小学校である「成蹊学校」が、現在の八幡町2丁目(市役所ごみ対策課の場所)に開設されます。さらに翌18年10月には2校目となる「共立学校」が、南沢村の多門寺前に開設されました。

■就学率の増加
 共立学校の最初の児童数は男子26名、女子10名の合計36名と非常に少人数でした。実は全ての児童が通うはずの小学校でしたが、実際には月謝が高く通えない生徒も数多くいたようです。特に女子の就学率は低く、明治30年には全国的にみて平均で50・9%という数字でした。しかし、6年後の同36年には89・6%にまで上昇。この増加に合わせて卒業後に高等小学校へ進学する児童が増えてきます。しかし、高等小学校は近隣村まで通わなくてはならず、非常に不便でした。

■高等小学校の設置へ
 そのため東久留米では明治36年(1903)、成蹊・共立のほぼ中央にあたる前沢宿の宿屋「江戸屋」を買い受けて、新たに尋常小学校の仮校舎としました。同39年には尋常小学校に成蹊・共立の両校を合併し、「久留米尋常高等小学校」として発足します。
 そして昭和3年(1928)、これまで同校の校庭だった部分に校舎を新築します。さらに昭和22年には、「北多摩郡久留米村立久留米小学校」と校名を変更。昭和45年に市制施行されると東久留米市立第一小学校という現在の名称となりました。
 数多くの卒業生を輩出した同校は今も地域の学び舎として有り続けています。

◆2年にわたり連載してきた、当連載も今回で最終回となります。ご愛読いただきましてありがとうございました。

参考資料『東久留米市史』


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