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小平市内には、全長約55kmの用水が東西南北に横切っています。現在は水道が完備され、生活とは切り離された用水ですが、かつては貴重な水源として、人々の生活に欠かせないものでした。今回はそんな小平の用水の歴史をご紹介しましょう。
■玉川上水からの分水
水の乏しかった小平は、長い間、荒野のまま放置されていました。しかし、江戸時代初期の承応3年(1654)に玉川上水が開通し、翌年には野火止用水が開削されると、続々と開拓農民が集まり始めます。それにともなって明暦2年(1656)には、玉川上水から分水された小川用水が、元禄9年(1696)には田無用水が完成。さらに幕府は新田開発のために次々と用水路を引き、開拓農民を支えました。こうして小平に多くの用水が誕生したのです。
■水を巡る事件
当時の用水はまさに村のライフラインであり、各村は細かい村ぎめを作って水を管理しました。しかし宝永5年(1708)に事件は起きます。夏の大雨で羽村の取水口が壊れ、玉川上水が渇水。江戸の役人が修復して水を通しましたが、それでも足りず、江戸市民の水を確保するため、小平の分水口を封鎖して取水を禁止。しかし、役人が引き揚げた直後に何者かが小川用水の錠前を壊し、水を流してしまいました。これが大きな問題となり、役人に用水の分水口を厳重に封印されてしまいます。村は何度もお詫びを繰り返しましたが許してもらえず、ようやく許しを得たのは1ヶ月後。その期間の村人は水なしの生活を送ることとなり、大変に苦しんだそうです。
■用水の復活を目指して
そんな小平の用水も、その役目を終える時がきます。明治19年(1886)、玉川上水でコレラが大流行したのをきっかけに飲用水としての使用を停止。やがて淀橋浄水場による水道が完備されましたが、昭和40年に同浄水場が活動停止となると都民の飲料水確保のために用水路への水量を制限。これにより用水の流れが淀み、一気に汚染が進みます。その結果、蛍が生息し、魚が泳いだ清らかな流れも一部は渇水し、用水路にはゴミも投げ込まれるようになってしまいました。
時は流れ、平成7年に小平市は「小平市用水路活用計画」を策定。市内の用水を水と緑のやすらぎの景観として残すために動き始めました。かつて小平の人々を助け、大地を潤した用水が、再び復活する日も近いのかもしれません。
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