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東久留米市大門町の地名の由来は、浄牧院がこの地にあることから命名されました。その歴史は室町時代末期まで遡るという浄牧院。今回はこのお寺についてご紹介しましょう。
■浄牧院の歴史
浄牧院は、文安元年(1444年)3月3日に滝山城主の大石駿河守安祝によって開創されました。開祖は、崇芝性岱禅師です。この両者の関係は、大石氏が今でいうスポンサーとして資金を出し、高僧として名高い崇芝性岱が実際にお寺を開いた、という形になります。
そうした経緯によって開かれた浄牧院は、寛政元年(1460)に大空玄虎(1428〜1505)を2代目の住職に迎えます。後に多摩の名僧とも言われる、大空玄虎の出身は武蔵国(一説に伊勢生まれ)。幼くして寺に入り、のちに当時、遠江(静岡県)の石雲院にいた崇芝性岱に参学。そこで見込まれて浄牧院の住職となったのです。
彼は境内の土窟に3年間もこもり、禅宗の基本的な問答のテキストといわれる『碧巌録』の注釈・解釈書「碧巌大空抄」を書きあげます。これは当時としては画期的で、禅の修行をする人は、みなこれを読んだと言われるほどの有名な典籍となります。ちなみに大空がこもったと言われる土窟は今も境内に存在します。
こうした高僧の存在もあり、この地域の有力なお寺となった浄牧院ですが、天正18年(1590)に徳川氏が江戸へ入城する際に、当時の八代目の住職が後北条家の一族であったことから、約2万5、000坪もあった広大な寺領が没収されてしまいました。しかし、9代目の玉室応珍が住職になると徳川幕府は、所領安堵の朱印状を出し、30石という以前の約5分の1の寺領を与え、復活させました。その後、正保(1645)、正徳(1712)と二度の大火にあい、それを修復するも大正の関東大震災により再び荒廃。昭和になって大改修を行い、ようやく復興を果たしました。
境内には、市の史跡に指定されている、江戸時代の旗本・神谷家と鈴木家の墓所や市天然記念物の樹齢400年を誇る「浄牧院のカヤ」があり、歴史を感じさせる荘厳とした雰囲気を醸し出しています。
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