▲青梅街道沿いの熊野宮の鳥居。 この奥に見えるマンションの位置にかつて村役場があった

 小平の歴史は江戸時代に行われた新田開発によって始まりました。明暦2年(1657)の小川村の開拓を皮切りに、それまで原っぱだった小平に次々と新田が生まれます。開拓が一段落したのは江戸時代末期の18世紀の初頭。そこでようやく各村落は村としての形を整え、やがて明治維新を迎えます。

■小平村の由来とは?
 富国強兵を大きな柱とした明治政府は産業や軍備を強化するために次々に政策を行いました。明治21年(1888)には江戸時代から続く小規模な村々を合併し、財政能力の強化、行政能力の向上を図る、市政・町村制を公布します。
 当時の小平地域には小川村、小川新田、大沼田新田、野中新田与右衛門組・野中新田善左右衛門組、鈴木新田、回田新田という1つの村と6つの新田がありました。
 そこで新たな村の名前を決めるため各新田から代議員を選出。さまざまな意見を出し合って論議をします。7つの村の合併であるから、「七里塚」にしようという案。いずれかの村の名称から選ぼうという案。各村の頭文字で合作しようという案が出ました。しかし、どの意見でもまとまらず、全く新しい村名を決めることになりました。その結果、最初に開拓されたのが小川村であったことから頭文字の「小」を採用し、さらに平らな地形であることから「小平」と名付けました。

■村役場は借家だった
 こうして誕生した小平村は、明治22年に小平村全域を1区として16名の議員を選出し、村会を発足。さらに小川新田(現・仲町)熊野宮神官、宮崎久榎屋敷の書院を借り受けて村役場を設けました。当時の職員はわずか3名。驚くほどの少人数ですが、その頃は、政府からのわずかな補助金で事業を行っていたため、いくつかの仕事を兼務でこなすことで運営できるほどの小規模なものでした。ちなみに当時の村の総人口は4、489人。現在(約18万人)の約2.5パーセントほどの人口でした。
 大正元年(1912)には小平村役場の借家生活も終わり、小川新田521番地(現・仲町公民館の場所)に新庁舎が完成。昭和10年以降には人口も増加し、行政事務も複雑となり職員数、機構ともに整っていきます。そして昭和58年に、かつての村役場とは桁違いに立派な現在の市役所が誕生したのでした。

参考資料『小平市三〇年史』


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