▲八坂交番の裏に現代の「迷いの桜」が植えられている

 地域の歴史を調べるとき、最も重要視されるのは遺跡や文献など形として残っているものです。しかし、一方で忘れてはならないのが、その地域に伝わる口碑伝説、いわゆる「言い伝え」です。そこで今回は、小平に伝わる口碑伝説の一つ「迷いの桜」についてご紹介しましょう。

■九道の辻

 西武多摩湖線八坂駅を出て、府中街道を南に約300mほど進んだところに九道の辻という交差点があります。ここはかつて鎌倉街道、江戸街道、大山街道、奥州街道、引股道、宮寺道、秩父道、清戸道、御窪道の9本の道が交差する場所でした。現在は明治以降の交通機関の発達にともなう道路の改変によって、7本の通りを残すのみとなっていますが、往時には大変賑わったことが想像されます。

■迷いの桜と新田義貞
 この一角にかつて迷いの桜という見事な桜の樹がありました。この桜の歴史は古く、またその誕生には意外な人物が関わっています。その人物とは、南北朝期の武将・新田義貞です。元弘3年(1333)5月、後醍醐天皇から鎌倉幕府討伐の命を受けた義貞は野州(現・群馬県)から兵を起こし、久米川の戦いで北条軍を破ります。さらに兵を進める義貞は鎌倉に攻め入る途中、九道の辻に差しかかりました。その時に9本の道を前にして、どれが鎌倉に通じる道か迷った義貞は、後に人々が道に迷うことがないように鎌倉街道の一角に桜の樹を植え、鎌倉への道しるべとしました。

 義貞によって植えられた迷いの桜は、何度も植え継がれたようですが、大正時代にはすっかり枯れてしまいました。こうして姿を消した伝説の迷いの桜を後の世に伝えるため、昭和55年(1980)10月に小平市が九道の辻にある八坂交番の裏に桜の苗木を植えました。こうして現代に甦った迷いの桜も今はすっかり成長し、春には見事な花を咲かせ往来の人々を楽しませています。

参考資料『郷土こだいら』


▲現在の九道の辻。府中街道と江戸街道の他は名もない道路となってしまった


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