▲神宝町1丁目の宝泉寺にある子育地蔵

 ふだん何気なく目にしている地蔵や庚申塔などの石仏。その存在は知っていても歴史や造立の経緯などは知らない人が多いのではないでしょうか。そこで今回は身近なようで意外と知らない、東久留米の石仏をご紹介しましょう。

■東久留米の地蔵菩薩
 現在、東久留米市内には20基の地蔵と4つの六地蔵があります。その中で最も古いのは神山町2丁目にある元禄8年(1695)に造立された地蔵菩薩です。地域別に見ていくと、この他に南沢が年代的に古く、続いて前沢・柳窪などになります。下里はやや遅れ、小山・門前・落合にはあまり見られません。
 造形的な面で見ていくと最も意匠が優れているのは、神宝町1丁目の宝泉寺にある子育地蔵です。足元に3人の童子がすがりつき慈愛に満ちたその姿は、地蔵本来の姿である死者の冥土の苦しみを救う大慈悲の菩薩を見事に表しています。これは嘉永2年(1849)に神山村の人々が中心になって造立したものです。

■石橋供養塔の力石
 続いて紹介するのは、小山町4丁目にある石橋供養塔です。これは明治23年(1890)に黒目川に架けた曲橋、中橋、落場橋の3つの橋の建築供養碑として造立されたものです。塔の前には、「力石」と呼ばれる3つの丸い石があります。これは太平洋戦争の前までは、村の若者が鍛錬のために担いで近くの坂を上り下りしていた石だそうです。一番大きな石には、四拾五貫(約196kg)と刻まれています。実際の数字は定かではありませんが、相当な重さであることは確かです。

 ある時、村の若い衆が集まって「この石を担いで坂を上り下りしたら、その人に石をあげよう」という話しになり、皆で競い合いました。そこで登場したのが、力自慢の木こりの徳さんでした。彼は期待に応えて見事に達成します。それ以来この石は「徳さんの石」と呼ばれているそうです。
 このように身近な石仏にも様々な歴史や物語があり、地域を語る上でも重要な財産なのです。みなさんも機会があれば、もう一度石仏を見直してみてはいかがでしょうか。

参考資料「東久留米の石仏」
(東久留米市教育委員会)


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