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読者の皆様、あけましておめでとうございます。本年も当連載をよろしくお願いします。ところで、皆様はもう初夢は見ましたか? 昔から吉夢と言われているのは「一富士、二鷹、三茄子」です。そこで今回は二に登場する鷹にちなんで、小平と鷹場についてご紹介しましょう。
■鷹場はどんな場所?
鷹場とは、訓練した鷹を使って鳥を捕らえる、鷹狩のための特定の場所です。小平は最初の村である、小川村成立時より鷹場に指定されていました。鷹場の範囲は時を経るごとに拡大し、武蔵野台地一帯を含む広大な地域が指定されていたと伝えられています。
鷹狩の歴史は非常に古く仁徳天皇の頃まで遡ります。生類憐みの令を出した、五代将軍・綱吉の時代に一時廃止されましたが、享保2年(1717)の八代将軍・吉宗の時代に再興され、慶応3年(1867)に幕府が倒れるまで続きました。
■厳しい規制を受けた村民
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| ▲西武国分寺線・鷹の台駅。この駅名も小平が鷹場であったことに由来する |
鷹場であった小平の人々は「鷹場法度」によって様々な規制を受けていました。具体的には、鳥などの動物の殺生禁止や新しく建物を建てる、修繕する、また祭りなどで大勢の人が集まる場合には許可が必要。その他に大声で人を呼ばない、手を叩かない、カゴを背負わないなど日常の細かい点まで規制されていました。鷹狩りの際には、村民がかりだされ、必要な人馬代なども全て村民の負担となり、大変な出費でした。
武蔵野一帯は、江戸時代より徳川家の領地として、代官支配を受けていました。そのうえ鷹場に指定されたことで、前述のような規制を設けられ二重の支配を受けていたのです。
■たかの街道
小平市役所の南側に「たかの街道」という街道があります。西は玉川上水にかかる小川寺橋。東は中断しながら、花小金井駅南側の「東たかの道」まで続くこの通りは、尾張藩と将軍家の鷹場が小平を境にして北と南に別れていた時期に、その境界線的な役割を担った通りだとされています。このように、わずかながらも小平が鷹場であった名残りは、今もこの地に残っているのです。
参考資料『小平市三〇年史』
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