▲昭和54年頃のミソパッカライの様子。この風習は現代も続いている。
(写真提供:写真集 東久留米の年中行事)

 今回は昭和40年頃まで東久留米地域で行われていた、お正月の準備と過ごし方を紹介しましょう。東久留米は江戸時代から昭和の初め頃まで純農村でした。そのためお正月は農作業が休め、ご馳走が食べられる貴重な時期として、様々な習慣があったようです。

■正月を迎える準備
 餅撞きは正月を迎える大切な行事。東久留米では、クミやイッケと呼ばれる隣近所や親戚が協力して27、28日頃に数軒分をまとめて撞いていました。29日は苦餅と言って避けます。餅を撞く時には、
 「めでた めでたが 三つかさなれば 庭にゃ鶴亀 ごようの松」
 などの餅撞き歌を唄いながら6、7人で臼の周りを回りながらこね、さらに二手に分かれて押し合いながらこねます。次に「さんてこ」といって3、4人で調子を取りながら軽く撞き、最後に「あげづき」といって一人で行うのが一般的だったようです。

 飾り付けは、現在と同じで玄関に門松が置かれます。たいていは二本一対ですが、下里では庭松といって各戸の庭先に5本立てていたそうです。

 また年の暮れになると日用品をすべて新しいものに取り替えます。そのため田無や所沢の晦日市におたまやしゃもじを買いに出かけるのも恒例の行事でした。

■大晦日の過ごし方
 大晦日には、ミソカッパライ(大晦日のお祓い)があります。これは年末に神主に切ってもらった御幣を使って行う、家ごとのお祓いで年男か家長が一人ひとりの頭をお祓いし、終わると御幣は門口などにさしておきます。また大晦日には、囲炉裏へおにぎりを一個くべます。これは子どもがやけどしないようにと願うもので、囲炉裏の神様への供物です。

■お正月の風習
 元日は年男が早朝に起きて、井戸から若水(元日の朝に初めて汲む水)を汲み、雑煮を作って家の中の神々に供えます。それらはすべて年男の仕事で他の人は寝たまま待っています。それが終わると家族でこたつに揃って座り、お屠蘇を扇子で扇ぎながら年男から順番に飲み、年始の礼をかわします。

 三箇日は、女性は一切台所には立たず、供物もあげてはいけませんでした。また掃除もせず、出たゴミは部屋の隅の方にまとめておきました。

 正月の3〜7日には「オオバンブルマイ」「オセチ」といい、親戚中で集まって共食談合をしたそうです。

参考文献『東久留米市史』


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