▲国に史跡指定された玉川上水

 今年で開削350周年を迎えた玉川上水が、去る8月27日に国の史跡指定を受けました。そこで今回は小平とも関わりの深い玉川上水にスポットを当ててみたいと思います。

■玉川上水の歴史
 玉川上水が完成したのは今から350年前の承応3年(1653)です。当時、江戸の町は爆発的に人口が増え、飲用水確保が急務でした。そこで多摩川の水を羽村で取水し、自然の勾配を利用しながら江戸へ運ぶという計画が立てられました。これを幕府に進言したのが、のちに玉川兄弟と呼ばれる庄右衛門、清右衛門です。この工事には武蔵野一帯の農民も動員されたと伝えられており、小平の人々も作業に加わったことが推測されます。

 上水路の距離は全長約43km。当時は道具や測量技術も十分ではありませんでした。そこで玉川兄弟は、土地の高低差を作業員に提灯を持たせて、遠くから眺める方法で把握しました。これは戦国時代に伊賀や甲賀の忍者が敵の地形を計るのによく用いた方法でした。

 その測量の結果、予想以上に標高差が小さく、自然の勾配を利用する玉川上水の工事は困難を極めます。こうした状況の中、およそ8ヶ月という驚きの短期間で羽村取水堰から四谷大木戸までの玉川上水は完成しました。

■小平の開発と玉川上水
 開削された玉川上水は、江戸市民だけではなく小平にも分水されて飲用、潅漑用として大いに活用されました。明和2年(1765)、武州多摩郡小川村(現・小川町)の名主・小川弥次郎が村内に流れる分水に水車をかけます。これは当時の主要農産物がムギ、アワ、ソバなどの穀物だったため精製しないと商売にならないという点に目を付けた設置でした。これにより小平の製粉、脱穀の能率が飛躍的に上がります。そして7年後には隣り村の大沼田新田(現・大沼町)の名主・弥十郎と伝兵衛も村の飲用水堀を利用して水車を設け、続いて小川新田(現・仲町)の神主・宮崎采女も用水堀を新たに掘って水車を作りました。これまで手回しの臼しかなかったところへの水車の出現。これは村にとってまさに「産業革命」でした。

 現在は東京のオアシスとして親しまれている玉川上水ですが、小平の歴史においては江戸時代に開発を手助けしてくれたありがたい上水だったのです。

参考資料『郷土こだいら』


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