▲大圓寺(だいえんじ)にある「ゴリゴリ馬頭」

■滝山の名称の由来
 公団滝山団地などで知られる、「滝山」という町名は、現在の滝山一丁目付近が、かつて「滝山道」と呼ばれていたことに由来します。また、前沢宿から八幡神社前を通り、所沢街道を抜けて、「金塚」と呼ばれていた地域を南下する道も同じく「滝山道」と呼ばれていました。この「滝山道」という名称は、小田原・北条氏のお城であった八王子の滝山城、所沢の滝之城に通じる道、という意味から来ていると言われています。

■所沢街道のゴリゴリ馬頭

▲昭和45年頃の滝山中央通り
▲昭和44年頃、入居が始まった
ばかりの滝山団地
 小山町にある大圓寺の入り口には、通称「ゴリゴリ馬頭」と呼ばれる市指定有形民俗文化財の馬頭観音塔があります。天保9年(1838)に建てられたとされるこの塔は、元々は所沢街道の一角、前述の金塚付近にあったものでした。しかし、滝山団地建設のための整備によって、建っていた場所が道路予定地になってしまったことから、大圓寺に移動することになりました。
 主に街道沿いに建てられ、馬の守護や供養の仏として、信仰されることの多かった馬頭観音塔。中でもこの「ゴリゴリ馬頭」は、かつては所沢街道を行き交う人々にとっては、重要な道しるべでした。その根拠となるのが、このユニークな名前の由来となった側面に彫られた文字です。現在は非常に読みにくくなっていますが、「東 いたはし 五里、西 八わうし 五里、南 江戸四つ谷 五里、北 川ご絵 五里」と当時の要所、板橋、八王子、四谷、川越のいずれへも五里と刻まれています。つまり、この「ゴリゴリ馬頭」が江戸時代〜昭和の初めまで、日本一広い関東平野を往還した人々にとって、重要な区点であったことが分かります。
 現在でも、多くの市内の小学生が総合学習の時間に見学に訪れるなど、地域に愛され続けている「ゴリゴリ馬頭」は、東久留米の歴史を知る上でも、貴重な財産です。

参考資料『くるめの文化財 第6号』
※本稿の写真は『光りの交響詩』(東久留米市教育委員会)よりお借りしています

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