▲「業平の笠懸松」。昭和52年に枯渇を理由に伐採されてしまい、現在は根元部分しか残っていない

 かつて南沢多門寺観音堂(東久留米市)のそばには「業平の笠懸松」と呼ばれる一本の巨木がそびえ立っていました。業平とは平安時代初期の歌人、六歌仙の一人で『伊勢物語』の主人公とも言われる、在原業平(825〜880年)です。

■東下りで東久留米へ
 業平は平城天皇の孫でしたが、当時の藤原家の専政によって政治家としての道を断たれ、最愛の恋人とも別れて武蔵の国に理想の新天地を求めて旅立ちます。いわゆる「業平の東下り」です。伝承によると業平は京から東海道で駿河を通り、隅田川を経て、やがて入間郡の三芳野の里に辿り着いたとされており、東久留米にはその途中に立ち寄ったと推測されます。
 南沢の開祖である篠宮家には業平について記された漢文体と仮名文の二通りの文書が家伝として残っています。この本は漢文体の奥書に永暦年中(1160〜61)の本を、文化6年(1809)と文久4年(1864)に模写した、とあることから江戸時代後期のものとされています。文中には『鎮守氷川の社、十一面観音中丸聖天院観音寺等に遊び、(中略)松樹などにあこがれ、或は樹根に腰を下ろし笠を松が枝に懸しならん。笠懸松の名跡今に存す』と、業平の漫遊の様子が描かれています。その後、南沢の里が気に入った業平はこの地に逗留することにしました。

■業平の逃避行
 やがて月日が経つと業平は京にいる、かつての恋人である女性をこの地に密かに呼び寄せ、仲睦まじく恋の逃避行を謀ります。しかし、やがて京から追手が迫ったため、二人は北へ逃亡。草深い茂みの中に隠れました。ところが追手は無情にも草に火を放って行手を遮ります。そこで女性は和歌を詠んで自首して出ると、追手はその女性だけを奪って行ってしまいました。

▲平林寺の業平塚
 その後、業平はやっとのことで新座の片山まで逃げ、さらに北上して今の埼玉県志木市に辿り着きます。そして地元の長者の娘と恋仲になり結ばれ、その地で終焉を迎えたとされています。享年56歳でした。新座市にある平林寺には、業平を偲ぶ「業平塚」と名付けられた塚が現在も残っています。

参考資料『東久留米市史』

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