明日(あす)の田無の夢を実現してくれる街、明日のすばらしい未来を切り開いてくれる街にと名付けられた「アスタ」。総事業費687億円を投じて再開発された田無駅北口にそのビルは建っている。アスタ専門店街はその西側商業棟の地下1階から3階までの4フロアに出店している89の店で成っている。
平成7年3月10日、前夜からの雨の中、長い列を作って開店を待つお客様(写真左上)に感謝し、開店を15分早めて迎え入れた感動の一瞬から(写真左下)早くも8年の歳月が過ぎようとしている。当時の関係者および出店者の方々が、いま歳末大売出しで賑わうアスタ専門店街の盛況を予想し得ただろうか。不安と繁栄を願う心の入り交じる日々であったろうと想像される。その今日までの軌跡を辿るのも、この商店街物語を締め括るうえからも一つの意味を持つのではないだろうか。
■不安が交錯した開発事業
▲女優・田中好子さんがお出迎え
▲3、000人が行列
昭和49年10月に都市計画決定された再開発事業。以来、アスタ誕生まで21年の歳月が費やされている。開発地区内の権利者は191人を数えていた。その権利者一人ひとりに事業主である田無市(当時)は権利者の持ち分を詳細に評価し権利変換を行い、アスタ商業棟に入る意思のある人には床面積を提示、変換分を超える床を取得したい人には資金あっせんと利子補給の特例まで行い、昼夜の別なく努力をした。開発に理解を示す人、エゴを通す人、様々な人間性を見せた都市再開発であり、事業主である市も権利者も地獄を見る思いをしたものだった。
■決断と勇気の歴史
アスタへの出店を決めた人あるいは意欲を持つ人たちが出店者準備会なる集まりを持ったのは従来からの建物を明け渡しする少し前、アスタに出店するか新天地に移転するか苦しんだ時期であった。「新ビルでうまくいくのか」「お客様が来るのか」市の職員やコンサルタント会社につめよるシーンも見られた。うまく行く保証など誰も出せないし確実なものなど何もない。逡巡する不安の中で試されたのは男の叫びにも似た未知への挑戦であり、決断と勇気であった。事業を興すとき誰がその安定を保証するか、自分で努力する以外にない。原点に帰ったとき出店者各自に前向きな積極性が生まれたのは確かであった。
■まち全体の発展を
手元の資料によるとアスタ開店3日間の売り上げは6億7千万円、入場者数28万人とある。このうち田無西武(現LIVIN)を除くアスタ専門店街の売り上げは2億6千360万円。関係者一同ほっとひと息新たな意欲を燃やしたことは間違いない。
正月元旦を除き、年中無休で頑張るアスタ専門店街、11月29日から今月22日まで福引きセール開催中である。これらの催事を企画立案するのは専門店街出店者会と管理会社(株)アスタ西東京。この両者の密接な関係は見逃せず、良好な二人三脚で販促運動を繰り広げる。アスタカード、アスタクレジットカードはアスタ西東京が管理する。店舗の模様替え品揃えについても商店街全体の調和を考え優先させる。ブティック店の隣りにラーメン店などは床を持つ権利者といえども許されない。開発当時から意見を出し合い、反発したり妥協したりと一つの道筋に向けて努力してきた暗黙の理解があるからだ。
▲例大祭の神輿を披露
そしてまち全体の発展への思いも深く祭りの神輿を2階センターコートでお披露目する。
これらについて専門店街の達会長(タツインテリア)は「アスタ単独での発展は考えられない。周辺商店街との協調と共生というか一緒にやって行くことによって繁栄する。地域の祭りや催事に積極的に参加させていただく意義は大きい」とのコメントであった。
取材・文/後藤喜好
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