▲現在の「一番通り商店街」
▲昭和52年頃の商店街
▲昭和47年頃の商店街
▲毎年夏に行われる盆踊り大会は、多くの人で賑わう
西武池袋線のひばりヶ丘駅北口は、近隣の駅前が次々と再開発で整備されていく中、昔のままの雑然とした雰囲気が残っている貴重な場所だ。お世辞にもきれいとは言えない北口だが、私はこの辺りを歩いていると、やけに整然としている近隣の駅前よりもワクワクしてしまう。それは雑然さの中に、隠れた名店などが潜んでいないかと常に探しながら歩いているからだと思う。そんな北口の商店街を今月は取り上げることに決め、北口の顔ともいえる、駅西側の踏切の先に真っ直ぐ伸びている「一番通り商店街」に向かった。
この通りは道幅が非常に狭く、車は一方通行になっている。歩いていると焼き鳥屋やウナギの蒲焼きを売る店の香ばしい香りが食欲をそそる。さらに両脇に並ぶ店を注意深く見ていくと、かまぼこ屋やうどんの玉を売る店など全体的に惣菜屋さんが多いことに気付く。そしてもう一つ目に付くのが、馴染みの客と店主が話をしている姿が多く見られることだ。晩ご飯のおかずを買いながら、世間話をして帰る商店街。そんな昔ながらの風景が夕暮れ時にはそこかしこで見られる。
■商店街が形成される
そんな一番通りの歴史を、通り沿いに昭和32年から店を構える”商店街の長老“佐藤さん・72歳(いさみ屋)に聞いてみたところ、「私がここに店を出した当時、周りは畑や雑木林ばかり。お店もうちを含めてまだ5軒ぐらいしかなかった」と教えてくれた。そんな寂しかった通りも30年代の後半には少しずつ商店が増え、40年代の初め頃には”商店街“と呼べるだけの通りに変化していく。そして北口商協の前身となる「ひばりが丘北口商店会」が発足し、本格的な商店街活動のスタートとなる。その後も順調に商店街は発展し、昭和52年には「ひばりが丘北口商店街協同組合」を結成。盆踊りや中元、歳末の大売り出しなど、各商店が一致団結して積極的な活動を展開する。その結果、50年代の後半には通りは人だかりで連日、賑わうようになった。
だが現在の一番通りに当時の人通りを見ることはできない。一体何があったのだろうか?
■理事長の交代、そしてこれからの北口商協
その原因の一つとして、店主たちの高齢化が挙げられる。商店街活動は各商店の通常の営業時間の後に行われるため、高齢化によって会合の数も減り、同時に新規に出店したお店が北口商協に加入しないというケースが増え、年々組合の参加店舗が減少していた。その結果、全体的な商店街活動が展開できなくなっていたのだ。
しかし、今、それが変わろうとしている。昨年5月にこれまで理事長だった佐藤さんが「若い人に任せたい」と副理事長に退き、新たに52歳の木皿儀さん(タイヨーデンキ)が理事長に就任したのである。就任1年目を迎えた木皿儀さんは、「これまでは、通りの若手は年長者の商店街活動を見ているだけだったが、これからはそれを逆にしたい」と語る。すでに積極的な呼びかけで組合への加盟店舗を増やすなど、その手腕は発揮されつつある。そんな新理事長に北口商協のこれからを聞いてみた。
「道幅が狭いのはどうしようもない。そのせいで車での利用が少ないと嘆くよりも、この狭さを生かす方法を考える。うちは個々のお店は非常にいいものを持っているので、それを全体の力にして商店街として売り出したい。とにかく何もやらないよりはやってみた方がいい」。そう力強く語る姿は、やや停滞ぎみだった近年の『一番通り』を変えてくれそうな予感に満ちていた。
馴染み客と店主が世間話をする昔ながらの商店街に、新理事長がどんな彩りを加えるのだろうか。その道は決して平坦ではないだろう。しかし、北口商協の特性を生かしたやり方が実現した時、再び北口に活気が戻る日が来るだろう。
文・取材/鈴木広介
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