03.2月号表紙「田無北口商店会」
▲再開発前の北口商店街
 地元の商店街を紹介するこの企画の第1回目は「田無北口商店会」。昨年末には、駅前の通りをイルミネーションでライトアップし、賞金総額200万円が当たる「カウントダウンフェア2003」を行うなど今まさに元気いっぱいの商店街だ。今回は、普段何気なく利用している、この商店街の歴史を中心に紹介してみたいと思う。

■一回目の転機、田無駅の移動
 現在はアスタ(ASTA)の6店舗を含め、田無駅前の合計70商店が加盟している「田無北口商店会」。もともと田無は江戸時代より青梅街道の宿場町として栄えていたため街道沿いには数多くの商店が軒を連ねていた。しかし、駅前は昭和2年に西武鉄道(現・西武新宿線)が開通した頃は商店はほとんどなかった。その代わり、昭和3年に「田無館(後に田無東映)」、20年代に「田無銀映」、「田無文化」という3つの映画館が建てられていた。アスタ専門店街1階に店を構える「二光フォト」の信沢さん(69歳)は昭和初期の頃を振り返って「映画館の他は、おでん屋とそば屋ぐらいしかない、のどかなものだった」と語る。そんな駅前に一回目の転機が訪れる。
 昭和40年に現在より50mほど東の位置にあった駅舎が場所を移動して建て替えられたのだ。これにより駅前通りが文字通り”駅前“になった。その結果、商店も増え、人通りも多くなり駅前はにわかに賑やかになっていく。映画館は、テレビの普及などにより昭和41〜45年の間に次々と姿を消すが、日本が高度成長期だったこともあり、当時の北口周辺は常に活気に満ちていた。

■二回目の転機、北口再開発
 その後も田無駅前は発展を続けるが、他の地域はそれ以上の早さで発展していく。特に近隣の吉祥寺駅は百貨店などの大型店舗ができ、市外からの買い物客を年々増やし、田無の商店は危機感をつのらせていた。また当時の「田無北口駅前通商店街」は道幅が狭く、消防車が入れないなど防災の観点から見ても見直す時期にきていた。これが二回目の転機となる北口再開発およびアスタの誕生へとつながっていく。昭和47年の8月には市議会で北口再開発について発表されると同時に、市民に公表され、2年後の49年には都市計画が決定するが地元商店は再開発に対して賛成派と反対派に分かれ、一時商店会も休会となり、大揺れに揺れてしまう。その結果、意見が一本化されず、10年以上この問題は進展しなかったが、紆余曲折を経て、昭和60年に基本設計が完成した。平成元年には事業計画の認可が下り、平成7年にアスタがオープンとなる。

■これからの田無駅北口
▲昨年のサマーフェスティバル
▲駅前のイルミネーション
 すっかり様変わりした田無駅北口。それに合わせて商店会も「田無北口商店会」として再編成して活動を再開。アスタがオープンした年の夏には早速、田無駅前で近隣の6つの商店街とともに「第1回・西東京(合併前は田無)サマーフェスティバル」を開催し、年末にはハワイ旅行が当たる抽選会を始めるなど、現在に繋がる積極的な活動を開始する。不況の中、それらの活動は年々規模が大きくなり、元気な北口という印象を内外に与えるが、その理由を田無北口商店会・会長の高崎三成さんはこう語る。「田無が合併して西東京市になったが、うちの商店会では田無をもう一度商業の中心に持っていきたいという強い想いがある。ただそれは我々だけ良ければいいというものではなく、他の商店街もそれに負けじと互いに競い合っていくことで西東京市全体がもっと元気になって欲しいという想いでもあるんだ」。

 私は今回の取材を通して、これまで断片的に知っていた田無駅北口駅前の歴史をようやく把握した。そして、その上でこの町を見ていると、また違った新鮮な景色に見えてきた。商店街にも歴史があり、そしてお店を営む人たちにも歴史がある。そうした当たり前のことを、改めて感じた取材だった。

文・取材/鈴木広介

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