田無ばやしとは?…元禄7年(1694)頃から、江戸の祭囃子の「葛西囃子」の流れを汲むお囃子が、田無に伝わったといわれる。その後、明治の終わりに柳沢の西林源六さんが、関東一のお囃子名人といわれた内海軍次郎先生に弟子入りし、速間流といわれるまだ完成していないものを作り直して、現在の田無ばやしを完成させる。西林さんの普及活動によって、田無・保谷・武蔵野・三鷹・小金井・国分寺・小平・東大和・荻窪などに浸透。昭和40年8月30日には田無市指定文化財に指定される。楽器は笛、大胴(大太鼓)、調べ(小さなしめ太鼓)、よすけ(鉦)と拍子木で奏される。舞いは獅子、天狐、天太(おかめ)、道化師(ひょっとこ)などがある。現在は主に市民まつりや田無神社の例大祭(今年は10月9、10日)などで披露されている。なお同会では随時入会を受付け中。詳しくは下記まで。
TEL/0424-63-7253
(田無ばやし事務局・清水宅)

 無に伝わる祭囃子「田無ばやし」が存続の危機に陥っている。原因は会員の高齢化と後継者不足である。そんな中、次代を担う存在として期待されるのが、弱冠29歳の清水義則さんだ。

 「もう一度田無ばやしを昔の姿に戻したい」

 そう力強く語る義則さんは、田無ばやし保存会の会長・清水義雄さんの長男にあたる。2年前に家業に入り、父親と共に仕事をするようになると、当然のように田無ばやしの後継者として修行の日々が始まった。

 父親に習っていては甘えが出るという理由で、現在は週に一度8時間、武蔵野ばやしの練習に参加。太鼓や笛などを学んでいる。

 「武蔵野ばやしは田無ばやしから分かれたお囃子で内容は同じ。現在は素晴らしい奏者も揃っている。そこで基礎から学んだ」

 この他に地元の練習にも参加し、さらに自宅でも毎日1時間は必ず練習を続けている。

 「最初は下手で近所迷惑だったと思う(笑)。元々祭りは好きだけど、やってみると楽しくてしょうがない。何でしょうね? 笛を吹いていると心躍るような、そんな気持ちになる」

 本来は笛を習うまで10年はかかるそうだが、義則さんの場合は、高齢の会員が元気なうちに全てを学ばなければいけないため、急ピッチで英才教育を受けている。まだ習い始めて1年半だが、すでに基礎は習得し、現在は「くずし」と呼ばれる応用編に挑戦しているという。

 田無ばやしが現在の形になったのは、約100年ほど前の明治の終わり頃。当時の人気は絶大で、田無をはじめ近隣地域の若い衆がみな習いに来たという。

 しかし顔見知りばかりだった田無のまちも、いつしかマンションが建ち並ぶベッドタウンになっていった。それと共に田無ばやしの会員も減少。10年ほど会が無くなった時期もあるという。現在の会員数は8名。新たな入会者もいるが、結婚や転勤などで辞めてしまうケースが多い。それでも現在は会員一丸となって盛り上げようと努力している。

 「将来のことを考えると、これからは地域の子どもたちに教えていきたい。ただ現状は指導者の数が足りない。まずは会員を増やし、指導者の育成をしなくては。それと同時に、自分の音を完成させたい。それが20年先になるか、30年先になるか分からないが、歴史ある田無ばやしの伝統を正しく伝えていきたいと思っている」

 真剣な眼差しでそう言われたとき、この人は将来の田無の財産になると確信した。

 田無ばやしの再興を目指して、いま新たな活動が始まろうとしている。

本文・写真 鈴木広介

当サイトに掲載されている文章・写真等の無断借用、転載は禁止いたします。
copyright(c) kyodokikaku All Rights Reserved.